それでも通じ合いたい はなしがしたい ー「ピロウトークタガログ語」とガチ恋
こんにちは。先日、面影ラッキーホールことO.L.H.のライブに行ってきました。どんなバンドなのかはwiki見てください。一言でいえば「最高の歌謡ファンク曲に最低な歌詞をつけて最高な歌声で歌う」バンドです。おじさまやおねえ様方が着るのに勇気のいるバンTを着て楽しそうにフリをしていました。OAがこまどり姉妹だったのですが、ライブハウスで演歌が流れ手拍子で盛り上がるといった異様な空間がそこにありました。何はともあれ最低なMC含め最高のライブでした。
ライブで、いい曲だなぁと思ったのがこの曲。「ピロウトークタガログ語」
タイトルの出オチ感がすごいですが名曲です。今までネタ曲だと思っていましたが名曲です(ネタ曲だけど)。ラジオ講座でタガログ語あるかよといった野暮なツッコミはやめましょう。
この曲の何がすごいのか。メロディのよさ。ライブだと大人数のブラバンなので迫力が増します。しかしこの歌詞。曲の良さをぶち壊すどころか倍にしております。
アイリーン
言葉の通じない 褐色の肌アイリーン
それでも通じ合いたい はなしがしたい
ああ……。わかる、わかるぞ……。
ラブゲームしたことないけどすごくわかるぞ……。
いったい何が「わかる」のか。歌詞を読み解いていこうと思います。
キーフレーズは「大きな隔たりはお金より 愛らしい口から洩れるタガログ語」。これに尽きます。そして続く「言葉の通じない 褐色の肌」「それでも通じ合いたい はなしがしたい」。
これほど「愛」について核心を突いた詞は恐らくないんじゃないか。
突然ですが「愛」って何だと思いますか。何でしょうね。「恋」との違いは何なんでしょうか。一般的な「恋愛」だけが恋であり愛なのでしょうか。ドルオタが推しに対する感情はガチ恋である/なし関係なく「愛」なのでしょうか。
世界には様々な「愛」があります。家族愛、親子愛、同志愛。師弟愛。世間一般で語られる「愛」は密な関係性の上に成り立っている愛です。一方アイドルやミュージシャン、スポーツ選手といった著名人を応援する、ファン心理は「愛」の枠外に置かれているような気がします。あくまでも「偶像とファン」であるから。密な関係性ではないから。アイドルとかは会うのにお金がいるから。話すのに、握手やチェキで自分だけとの時間を作るのに、お金がいるから。
「すべての労働は売春である」
とゴダールは言ったみたいです。わたしはこの言葉を、岡崎京子の『pink』で知りました。この言葉に同意します。モラトリアムという大学生活を謳歌してる身なので、本来は語る資格もないのでしょうが。自分の体(=労働力)を差し出し時間単位で売り物にし金を得る。性交渉の有無にかかわらず「自らを売る」という点において労働は売春なのです。
大正生まれの祖母は、生前わたしに芸能界に行くなと言っていたそうです。行けるほどの人間でないので余計なお世話だと思いますが。古い人の感覚で女優や芸能人といった職業を蔑視していたからでしょう。なぜ芸能人を蔑視したのか。社会状況や時代背景もあると思いますが、彼(女)らは「娼婦性が高い」からではないかと思うのです。芸能人が枕営業しているということではありません。彼(女)らの仕事は「パーソナルな部分を売っていく割合が高い」のです。
キャラクターや生活、生き様を売らなくてはいけない。考え方を、ヴィジュアルを売らなくてはいけない。彼(女)らは「自分自身が商品」なのです。一般労働者は「自分の能力」が商品なのに対し、より自分に近いものを売っていかなくてはならない。替えが効かない、唯一無二といった要素による満足感も大きいでしょうがリスクも高い。
パーソナルなところをあけっぴろげにしても苦にならない人もいるでしょう。プライベートを晒しても全然平気といった人もいるでしょう。しかし芸能人やアイドルを愛でるということは、「人」を愛で「人」を愛し価値を認めお金を払う。コンサートで(1or数人対ファン集団の形でも)会いたくてチケットを買う。1対1で話したくてチェキを買う。「人」からサービスを受けるために金を払う。根本的な構図は売春/買春と変わりません。
「ピロウトークタガログ語」の話に戻ります。この曲での「タガログ語」は自らを売る人が持つ、商品でない部分なのです。商品としての「人」のパーソナルな部分。性交渉の相手でなく、いち個人として娼婦に恋に落ちた「俺」は「娼婦」でなく「アイリーン」が好きなのです。パーソナルな部分を知りたくなること、その人のことを知りたいと思うこと。それが「好き」な気持ちなのではないでしょうか。
(1対1で)特別な関係性になりたい、といった感情はふちりんさん(遠目でそっと見ています)のこの言葉に尽きるんじゃないでしょうか。
あの娘と愛を交わしたくて
何とか覚えたタガログ語ふっと話したその言葉の意味が 解りたい
ふっと話したその言葉の意味が 知りたい
アイドルなどに推しがいるファンは、「タガログ語」を覚えたがるのです。推しの好きなものが知りたい。わかりたい。共通言語が欲しい。同じヴィジョンを見たい。
愛とは、互いに見つめ合うことではない。
ふたりが同じ方向を見つめることである。
とサン・テグジュペリは言ったそうです。「タガログ語」は愛の始まりなのかもしれません。同じ方向を見つめながら「通じ合う」こと。
谷崎潤一郎は漱石の小説の中で『それから』だけは恋愛小説であると評したようです。恋愛小説とは「互いの気持ちが通じ合う様子が書かれ」た小説なのだと。通じ合うことへの希求を哀切に歌う「ピロウトークタガログ語」は最高のアイドルへの片思いソングなのだと思います。
- アーティスト: 面影ラッキーホール,吉田美奈子
- 出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ
- 発売日: 1998/11/21
- メディア: CD
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アイドルの「リアル」・偶像性や、谷崎の恋愛小説論(『刺青』恋愛小説論争)についてはこちらにインスパイアされました。むっちゃおもしろい。