ファンはミュージシャンに何を求めているのか
先日、某ステルスメジャーこと平沢進のFCイベントへ行って参りました。Q&Aコーナーと楽曲製作術の再現ライブの2部構成で、どちらも密度の濃い内容でした。第一部はこんな感じ。
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Q&Aが事前に募集されるのですが、このような意見を呟かれてる方がいて。
循環カフェ、たまたま昨夜がそうだったのか、質問というより人生相談・悩み相談・生活相談的内容で若干心配になる。ヒラサワの答をそのまま自分に当てはめる事は出来ないよ、あくまで参考に。あの人は教祖様ではない。救済の技法は自身の細胞の方がよく知っている。レスキューの遺伝子は皆にある。
— 便宜上東北の人 (@touhokuB) 2017年3月16日
正直に申し上げると、かくいう私もお悩み相談的なQをぶつけました。ただ考えることを平沢さんに委託はしてません。この人だったらどうするのかな、と気になったのです。じゃあ聞くなよと言われそうですがまぁそれなりに悩んでるし、聞く価値があると思ったのです。
最初循環カフェに参加した友人から質問コーナーお悩み相談ぽくなってたと聞いた時はマジかよ~~と思いました。あくまでも平沢さんはミュージシャンだし別に万相談所じゃないんだよ?作品作るのが本業の人だよ?何求めてるん?もっと建設的な質問しよ?と思いました。ハイ。母にもこういう質問があって……と言うと「別に平沢進に聞いたって解決しないでしょ」とまでバッサリ切られました。ハイ。まぁ正論ですね。文面でのお悩み相談は難しい。質問者がどのくらい悩んでるのか、どんな背景なのかが掴みずらいなと感じました。その上ミュージシャンとファンって関係性で、どんな距離感で回答するかといった課題もあります。自分の質問が読み上げられた時、「むっちゃこれ深刻に聞こえるぞ……」と思いましたし純粋に恥ずかしかったです。じゃあ聞くなと言われそうですがだって3日前に送ったから無理だべwwって思ってたんだもん!と子どもじみた言い訳させてください。
Creepy Nutsもお悩み相談をしてるミュージシャンなのですが、
「人生の先輩としてではなく、地元のツレや後輩、もしくはそれ以下の目線から、主に無責任に、時に親身に、一緒に悩みながら解決します。」
「人生経験が乏しい上に、人間として欠落した部分が非常に多く、必ずしもお悩みを解決に導けるとは限りません。
あくまで“ 悩む” 相談室です。」
と最初から距離感を規定してるんです。しかもへり下った態度を取り「あくまでも“悩む”相談室」にしてる。卑近さが武器のアーティストイメージにぴったりなんです。答えが出るとそれが「教典」になることもあるけどあくまで「"たりない"ふたりが共に悩む/"たりない"ふたりが答えをだす」。アーティストの教祖感が薄い(それこそ「教祖誕生」という曲を出すようなユニットですけどね)。あと2人組なので意見の相違があると直線的でなく複合的な距離感になる。すごく上手いな~と改めて感心しました。そもそもトークバラエティ要素が強いのであんまシリアスじゃない。
それこそ「カリスマ」的なキャラで教祖っぽさも否めない平沢さんがどう質問を返してくのか。どんな距離感で返してくのか。絶妙でした。循環カフェ行って平沢さんのファンあしらいのうまさ、距離感の妙に舌を巻きました。まぁ長年やって出来るようになったからこういう企画やったのだとも思いますが。ファンの問いに真摯に答えつつ「分かりやすい男じゃない、回れ右」のような毒舌的ヒラサワみ、「奏でる用務員」のようなヒラサワ的へり下りを用いた上で励ましの言葉を与えていました。ヒラサワ的語彙でユーモアとウィット、圧倒的ヒラサワ感を出しつつ絶妙な距離感を取っていました。近年、ゲストで呼ばれたりファンとの交流を図ったり丸くなった平沢さんですが、ヒラサワとしてのアーティストイメージも(ネタにされつつも)崩さないのは流石だなと思います。LIBROの音信じゃないけど裏切らない裏切りで楽しませてくれる。
それでは(私含め)なぜファンはミュージシャンにお悩み相談しちゃうのか。お悩み相談すんなよ派の言い分としては「ミュージシャンはあくまでも作品作る人」だから生き方の指針まで求めるのはお門違いってことだと思います。あくまでも作品が好きで、ミュージシャンそのものが好きってわけじゃない。それも一つのファンの在り方だと思います。多分こういう人の方が多いんじゃないかな。お悩み相談しちゃう人だってもちろんいい作品を求めてます。でも作品だけでなく、ミュージシャンにカッコいい価値観を求めてる。ミュージシャンの生きざまとか人格にも惹かれてるんです。作品だけでなくそれを生み出す考え方に惹かれたファンは「この人だったらどう考えるんだろう?」と思い悩みをぶつけるんです。彼・彼女らは作品だけでなくミュージシャンそのものの価値観を享受している。彼・彼女らにとってミュージシャンはただの「作品を作る人」でなく生きることにおいての羅針盤なのです。
長々と書きましたが6代目美子ちゃんこと服部昇大先生のツイートにつきます。
「信者を作る」って言い出すと極端だけど単にポップでノれる音楽を作るより「新しい価値観・いいなと思うライフスタイルの提供」みたいな事ができるミュージシャンが勝つ時代じゃないかと思う
— 服部昇大/6代目 (@hattorixxx) 2017年2月13日
前後の文脈が不明なので断言はできませんが、平沢さんもこれに近いことを言ってるのかなと思います。
――現代のカリスマはミュージシャンだと思いますか。 平沢「そうだと思います。一番効率のいいのがミュージシャンだと思います。政治家でも学者でもいいと思うんですけど、シチュエイションから言ってミュージシャンが一番受け入れられやすいと思います」('91)
— 平沢インタビュー記事bot (@hrsw_kiji_bot) 2017年2月12日
政治家や学者がカッコいい価値観を提示できなくなりつつある今、音楽というエンタメが一番カッコいい価値観を提示しやすいのかなと思います。
ミュージシャンが提示する価値観も大きな”ウリ”になりつつあるのがここ最近の傾向なのかなと思います。ベテランバンドの再ヒットにも同じことが言えると指摘している記事もありました。
その人自身の歩んできた生き様や人間性と不可分のパフォーマンスを披露している。ベテランのバンドにしか出せない迫力を持っています。また、そういったバンドのファンは、彼らの音楽性だけではなく、人間性にも魅せられているため、流行り廃りとは関係なく追い続けるのではないでしょうか
“絶頂期”を迎えるベテランバンドが増加中 エレカシ、怒髪天、人間椅子らが今輝く背景とは | Real Sound|リアルサウンド
音楽は時にお薬であったり羅針盤であるのかなと思います。特に弱者にとっては。弱者にとって音楽(家)は生きることへのかすがいで同志なのです。そういう風に生身の人間を「消費」していいのかなと時に苦悩しつつも今日も再生ボタンを押し地獄より地獄的な浮き世をサバイブしていくのでした。