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自意識という病:中村うさぎ『こんな私が大嫌い!』

健康診断をさぼるくらいには精神的に不健康な小生がお送りします。タイトル通りブックレビューです。タイトル通り紹介する本はこちら。

 

こんな私が大嫌い! (よりみちパン!セ)

こんな私が大嫌い! (よりみちパン!セ)

 

 

整形、買い物症候群、ホスト依存……と無差別重量級の経験と貫禄を持った中村うさぎさんによる本です。1時間ちょっとあれば読める量ですが、濃い。悩めるティーン向けに書かれてるのですが、どんなお悩みに答えてるかは一目瞭然。「自分嫌い」の悩みです。

 内容紹介
序章でうさぎさんは自らの「自分嫌い」を語ります。性格が嫌い。愛されようと皆に合わせても自分を抑える自分が嫌い。顔が嫌い。こんな顔じゃ誰にも愛されない。嫌い、嫌い、嫌い……。

「自分を好きになれば魅力的になれる」と雑誌は語りかけます。でもそんな簡単に好きになれねーから苦労してんだよ!!!!!とうさぎ氏は返します。欠点を好きになるのは難しいこと。でも大人も対処法が分からないからそう返しているのです。一方、「自分好き」人間にも出会ってきたうさぎさん。彼らを見ても羨むことはありませんでした。嫌われても気づかないほど鈍感な人や、無理やり自分を好きになってる人だったのです。あるあるですね。
 
けどやっぱり自分嫌いの中で生きるのは苦しい。欠点は変えられる?人からどう見えてる?てかそもそも自分って何?悩みに悩みぬいたうさぎさんが出した結論が「自分が嫌いでも生きていける方法」がある、というものでした。
自分が嫌いでも生きていける方法って?そもそも自分嫌いって?といった内容について語られます。
 
うさぎさんはまず優越感と劣等感について語ります。誰も彼もかが優越感と劣等感の狭間でゆれているのだと。人と自分を比べ、私はあの子よりは美人、あの子よりはブス……そうして揺れ動くのだと。ここで美容整形の話も出てくるのですがうさぎさん曰く整形クリニックに来るのは傍目から見ると直す必要がないようなかわいらしい子が多いとのこと。ただ一見綺麗に見える人ですら他のもっと綺麗な人を見ては劣等感を抱き直したくなるのだそう。自分の中で描いた理想と「自分から見える」自分の乖離にがっくりくるんだそうです。怖いですね。
 
ちょうどこの本読んでた時ねほりんぱほりんも整形特集してたんですけどコンプ治して自信持ってでもまたコンプ見つかって……なサグラダファミリアぷりにマジでこうなんだ……とビビりました。怖いですね。 

自分の顔にメスを入れ続ける女性たち。彼女らは「やりすぎ」に思えます。過剰に自分をいじめてるようにも思えます。それでもメスを入れるのはなぜなのか。うさぎさんは「自分嫌い」の呪いの例としてカレン・カーペンターの話を出します。才能があり、多くの人に愛されてきたカレンも「自分はデブ」の思い込みで拒食症にいたりついに死んでしまう。自己評価をゆがませ客観性を奪う「自分嫌い」の呪いは命すらも奪う。なぜ「自分嫌い」でこんなにも苦しむのか。うさぎさんはその理由を「愛されない理由を自分の欠点に求めるから」と語ります。自分が愛されないのはダメな子だから。どんな瑕疵があっても愛されていれば胸を張れる。けど愛されなければ生きている価値を見いだせなくなる。愛される価値なんて人ひとりが、自分一人が決めるものでもない。「自分は愛される価値なんてない」と思うのは自分自身に対するイジメなのだと。
 
ただうさぎさんはカレンが音楽家として大成したのは強烈な「自分嫌い」の呪いがあったからじゃないのかとも考察しています。「何者かにならないと、自分は愛されない。愛されないと私には生きてる価値がない」と思っていたからあそこまで歌に打ち込めたのではないかと。愛されてると自己肯定感を抱けていたなら彼女は普通の幸せな人生を送れていたのかもしれない。芸術家は「自分嫌いの呪い」にかかっているからこそ追い込め素晴らしい表現ができるのだと。でも彼らは喝采を浴びても平凡な、幸せな人生は送れない。常に急き立てられ生きる彼らは自らの幸福を犠牲にするから結果的に尊敬されるのだと。
 
 人生って何かを諦めながら生きていくことなのかもしれない。(中略)でもね、何かを手に入れたら、別の何かを諦めなきゃいけない。非凡な生き方を選べば、平凡な幸福は遠のいていく。それが人生なのよね。
 でも、これって逆に言うと「何も手に入らない人生なんてない」ってことなんじゃないの?
 
うさぎさんは「自分嫌いでも生きていける方法」として「自分への執着をなくす」ことを挙げてます。言い換えれば「自分と距離を取る」こと。自分が好きなのも嫌いなのも自分に対して執着があるから。客観的に「まぁ、こういう人間だもんな」と思えば楽になれる。うさぎ氏は自分嫌いな人を自分が好きな人でもあると分析しています。自分のことが好きだから、本来の姿である完璧な状態ではない今の自分が許せない。自己評価が高いからこそ自己嫌悪になる。むっちゃわかるぞ……。「自己評価が低すぎる人」は自分に厳しい人に見えてだれよりも自分を高く見積もってるうぬぼれ屋さんじゃないのか。「自分嫌い」は「自分が好きすぎること」の裏返しなのだと。自己嫌悪と自己陶酔は表裏一体だなとよく思うのですが、うさぎさんのこの表現はその核心をついているように思えます。

分かりやすく手を打てる外見に対し、内面はどうなのか。うさぎさんは「そんな簡単に性格は変わらないでしょ」と斬ります。でも嫌なとこを無理やり好きになるのも受け入れるのも難しい。うさぎさんは「長所と欠点は裏返しだ」ということに気付きます。完璧な人間なんていないし。この「長所と短所は裏表」という考え方はただ短所を正当化してるようにも思えます。けど「長所の裏にある短所を見出す」風に使えば自分を客観的に見れるようになる。そうすれば自分が好きでも嫌いでもなくなる域に近づけるのだと。
 
自分への執着をなくしたうえでどう生きるか。うさぎさんはそこで「自虐ギャク」を提案します。うさぎさんは2丁目に入りびたりオカマたちの逞しさに魅了されます。彼(女?)らは自らの性的嗜好に向き合い、悩んだ末開き直り人々に笑われながら笑い返す生き方を選んだ。「アンタたち、あたしらを笑うけどアンタはそこまで高尚な人間なの?」という毒を含んで。己をギャグにするのは難しくて、自分を客観的に見れないとできないことなのです。ダメさを嫌うのも仕方ない。ダメな自分を直すのにも無理がある。じゃあ人を笑わせろ。どうせみんな多かれ少なかれダメさは持ってる。ならば笑わせろ。笑わせて、人の優越感をくすぐれ。人から笑われ、好かれれば自分を嫌いにならずに済む。笑われて己自身を知れ。

雑感
中村うさぎとR-指定ってメンタリティ近いのかなとふと思いました。(お前またR-指定の話かよと呆れられそうですが許してください。そろそろR-指定からキモがられても文句言えねぇ)

Rさんも「俺はなんでもないとそう気づけたとき それは真の意味で俺が俺を見つけたとき つまらなくていい、くだらなくてもいい もう誰とも比べなくていい」と「朝焼け」の中でラップしてまして。うさぎさんは比べることで客観的に自己を見つめられるから比較肯定派なんですけどね。それよりも比較したときに生まれる優越感や劣等感とうまく付き合っていこうよってのがうさぎさんの主張です。ただRさんもドンキにもヴィレアンにもなじめん!と歌い自分の立ち位置が分かってるじゃないですか。相対的に物を見れるから自己分析力・プロデュース力の高いのだと思うんです。お二人とも「ああ、自分ってこんなもんか」って「何でもない自分」を見つけて道化として、弱っちい自分を晒すことによって笑ってもらう。笑ってもらうことに価値を見出し、エンターテイナーとして生きる。すごく似てると思うんですよね。対談してくれ……。
 
ただ自虐ギャクってすごく難しくて。twitterや実生活でやるのですがほんとに卑屈になってる気がしてきます。そもそも女子校文化の中のらりくらりと生き抜くため自虐ネタを仕込んでいたためもう癖になってしまって。自己肯定感がどんどん下がって行くのを実感します。自分を客観視して、「何でもない人」だと自覚したうえ自虐するのは結構難しい。何者かになりたいし直せるところは直したいし。自己愛と自己期待値が高いのは重々承知なのですが……。
 
ああ、こんな人間なのかとか「何者」かになれるのかなれないのかってのは経験を重ねないと分からないところがあるのかもしれません。私は私以上でも以下でもないと気づけたら、多分生きるの楽になるんだろうなぁ。感情に取り込まれず、外から見つめることができたら楽なんだろうなぁ。まだ自己愛と感情への執着を手放せないけど、あがいてもがいてここに醜態をさらして生きていこうかと思います。
 
 大丈夫、あなたに必要なものは必ず見つかるし、それは必ず手に入る。あなたが自分をイジメなければ、あなたはきっと幸せになれるのよ。