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ドンキにもヴィレバンにもなじめなかった私 (後篇)

雑記 音楽

小中高を語った前篇はこちら。


grjti.hatenablog.com


人付き合いが下手くそでどのグループにもなじめず「#真面目」みたいな記号もまとえなかった小生。「#変人」という枠になり現実でもtwitterでも稀勢の里大好き芸人として活動し、オンラインでは80年代サブカルクソ女としても活動。2足のわらじを履き行ったり来たりで好き勝手やっていました。中高一貫女子校のゆるさに助けられ、なんとか居場所を作り6年間やりすごすことができました。そして卒業後、決意するのです。



「普通の人になろう」



「普通の人になる」、それが私にとっての大学デビューでした。まず自分を「変人」と思ってる時点で自意識過剰も甚だしいのですが。しかし私がどこのグループにも馴染まなかったのは事実でした。相撲好き芸人な私を皆「変人」と呼びました。私の周りにも「変人」と呼ばれるような人間が集まりました。


生存のため、人に喜んでもらうため過剰なほど自己を誇張するところがありました。人に笑ってもらえる、喜んでもらえる、そこに自分の存在価値を見いだしたのです。ふぁぼられリツイされて承認要求が満たされました。おもしろいね、と言われることが最大の褒め言葉でした。冗談や誇張して言ったことも徐々に本当になっていくのが言葉の恐ろしい所です。自分のセンスに関しては半端ない自信と矜持を持ってました。ファッションセンスはないけど笑いと音楽、文章のセンスは誰にも負けんと。


要するに、道化だったのです。人を見下す高いプライド、そんな人に認められたくて存在理由を、居場所を与えてほしい。ひん曲がった承認要求の塊でした。


私は自分が変人の中では常人寄りだと思ってました。変人、ではあるけど女子の間の不文律は破ってないと思ってました。変人でありながら、変人と常人の仲介役となることによって自分の存在価値を得よう、プロップスを得ようとしたのです。仲介役と書くと聞こえはいいですが、自ら貧乏くじを引くことでした。バロテッリを叱り、新入生長友をお姫さま抱っこし、ジダンに頭突きされる、マテラッツィに憧れたのです。しかし仲介役を(別に誰にも言われてないのに)買って出た結果どうなったのか。疲れてしまったのです。女子の不文律を破る変人の後始末をなぜ私だけがしなきゃいけないのかと泣き叫ぶこともありました。常人の記号がまとえないからだし、自分で選んだのに。尊い犠牲が出来るほど、私は聖人ではなかった。いい子でも、計算高くもない女の子だった。

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もうこんな思いこりごりや。普通の人のふりして、普通の子たちとつるんで、こんな貧乏くじ二度と引かないようにしよう。いわゆる大学デビューです。まぁゆるいサブカルちゃんめざして擬装のため椎名林檎を聞いてみたりしました(今思えばチョイスがおかしい気もしなくはない)。


入学前、「#春から〇大」や学科名で検索し未来の同級生や先輩をリサーチしました。同級生たちはまるで判でおされたような毒にも薬にもならないようなクソつまらないことばかりつぶやき来るべき日のため顔の見えぬおともだちとおしゃべりしていました。生存レースは入学前から始まっていたのです。どうせ今つるんでる奴とも実際に会ったら続かないで黒歴史になるだろと斜に構え見ていたのですが、入学前からライングループが作られ入学式の後にご飯食べよー!なんて計画がなされていました。どんな人間かも分からないし、しかもこの先4年間を共にする人間となぜ即twitterで話せて飯も食えるのか。生存のためなのかそれとも単に楽しくてやっているのか。そもそもインターネットに触れた時よく見ていたのが2chだったため(文字どおり半年ROMったほどバカまじめでした)、インターネットに本名や写真を晒す感覚もヒヨンドマイ理解力でした。リア垢を作る気もなく「一般的な大学生(予備軍)」にカルチャーショックを受けつつ入学式の日を迎えました。



パッとしない私のパッとしないキャンパスライフが始まりました。オリエンテーションキャンプではノリを合わせるのに気疲れし、こんなんで仲良くなれるかヴォケ!と思いました。同じ学科の友人は何とかできましたが、おもしろい人間が皆無だったのに愕然としました。ウエメセでイヤミな言い方かもしれませんが。みんな普通の大学生なのです。「#普通の大学生」の記号をまとっているだけかもしれませんが。


友人たちはマジメですごくいい子です。いい子すぎてこんな奴が甘えていいのかと思うレベルです。私もマジメ、とある程度は思われてるのかもしれませんが実際そうではありません。高校時代のような悩みからは解放されました。しかし今度は別の悩みが出たのです。「素の自分をリアルで晒せない、素の自分でいられる居場所がない」。あー言えばこー言うみたいな悩みですごく贅沢な悩みだと一蹴されそうですがつらい悩みでした。


そんな私の救いになりうるかもしれなかったのがサークルでした。文化系ゆるサーに入ったのです。オタクな趣味の方が多く、オタクな話をしてました。しかし部長はオタクでありながらオタクであることを隠し、別のサークルではウェイとして活動されていました。人目のつく所でオタク話をしてるオタクはキモいと語られていました。私はその気持ちが分かりつつも、「でもあなたもオタクやないですか……」と思いました。同族嫌悪だと思います。夏に合宿へ行き、アラ還のくせして大学生にえばるOBと囲い混みのため突然来年の幹部を決めた部長に嫌気が指し、サークルをやめました。ただこの「オタをステルスすべき」思想は私の心に暗い影を落とすこととなります。



大学ってこんなもんかーと暇人になった私はバイトし適当に大学へ行く生活を送っていました。周りの友人や同級生はサークルに精を出したり勉強したり恋やおしゃれにうつつを抜かしウェーイしてみたり意識高く生きていたりしていました。その中ただ漠然と「○○の人」になれない自分に嫌気がさしました。稀勢の里の成績もパッとせず、オタクだがオタクになれず、サブカルだがサブカルになれない。スージョ?と聞かれたら「こちとらスージョなんて言葉がでる前から好角家だヴォケ!」です。彼氏もいない友だち少ないあか抜けてもいない。モサい女にとって唯一のステータスだったお勉強もおろそかになり、研究者を目指すガチ勢の子を指を加えて見ていました。家に金があったら私も院行きたかったのに(お金があれば勉強するとは言っていない)。金持ちだけがサークルにも交際費にもおしゃれにも金かけられてリア充になれるやんけ。くたばれ金持ち!と呪詛怨念ルサンチマンたれたれの日々を過ごしていました。


そんな中転機になったのが某ステルス・メジャーのライブでした。入学後、大して音楽は追いかけていなかったのですが、意を決して行きました。


結論を先に言います。素晴らしかった。


某ステルス・メジャーの新譜発売ライブは「インタラクティブ・ライブ」と呼ばれるもので、その名の通り双方向型のライブです。会場の観客が選択肢を選び、UST配信を見ている在宅の観客が謎解きだったり音ゲーをこなしてグッドエンドを目指すRPGとノベルゲーを足して二で割ったようなものです。肝心のストーリーですが、よくわかりません。ファンも公式サイトを何度も読んでみるのですが「なるほど、わからん」としか言いようがありません。そんなライブを見た感想がこれです。


よく分からないけど力をもらえたことだけは分かっていただけたと思います。


ただ、ここで「馬の骨」と言い切れないのがつらいところです。「馬の骨」は割と現在の某ステルス・メジャーのソロ活動を好む方が多いのですが、私は某ステルス・メジャーが昔やってたバンドの方が好きでした。そこから80年代のニューウェイブを聴きこむようになりました。私のようなバンドが好きな方は各メンバーのソロ活動に流れていきます。かくいう私もそうです。ただテクノ沼楽しい!!!状態は分かるのですが、どこか界隈で完結している感を受けたのも事実です。広く浅くマンな私は超マイナーな電子音楽マニアにもなれずかと言って某ステルスメジャー界隈を熱狂的に追いかける人間にもなれない。結局どのタグも私には合いませんでした。風狂な人間やマニア、一途な人間を羨ましいなと見つめていました。


80年代のニューウェイブと呼ばれる音楽の何に惹かれたのか。サウンドのカッコよさもあります。ノスタルジーを覚えるどころか一周回って新しく聞こえます。しかし何より惹かれたのはディスコミュニケーションの音楽」であることでした。すべてのニューウェイブがそうだとは思いませんが、そのような要素を持った曲は多いと思います。人とつながりたいけど上手にできない。うまくコミュニケーションが取れない。そんなもどかしさをシンセサイザーに乗せた音楽はとても現代的に聞こえたのです。

どうせ「思いは伝わらない」のだ。どこまで話してもたぶん平行線は免れない。

#1 戸川純が伝える「思いの伝わらなさ」 - ele-king Powerd by DOMMUNE | エレキング



と、偉大なる先人たちのお言葉を引用したところでこの曲をどうぞ。


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自意識過剰にさいなまれつつも何とか私は学園生活を送っていました。一人気ままが好きだからぼっちで飯を食べたり授業を受けたりしてると、人に笑われてるかなと被害妄想をすることもしばしばです。そのくせ人とずっと一緒にいると気疲れすると不満を漏らすのに。自分でこの価値観がいいと選んでるのに、メインストリームの大衆をdisりたくてdisりたくて震えるのはやはり彼らへのあこがれや妬み嫉みがあるからでしょう。いやここで大衆の価値観に馴染んでたまるものかヴォケ!!!!!!と叫びつつもサブカルの「こんなに○○なものが好きな私ってイケてる」なノリやオタク特有のパンピーとは違ってこんなもの愛でる俺ら気持ち悪いでござるデュフフwwww」なノリにも中指を立てていたため三田誠広ではありませんが「僕って何」状態となっていました。いちご同盟しか読んだことないけど。


自分が好きなものは好きだ。ちょっとニッチなものが好きだ。でもその道のマニアなほどではない。かといってジェネラリストでもない。風狂な人間でもない。好きなもので確かに自分の価値観を確立して大衆との差異化を図っている。けどサブカルやオタクの「普通じゃない……褒め言葉だ」なアティチュードも嫌だ。なんで好きなものが好きであるだけのことに、こんなに悩み苦しみラベルを吟味し批判し批評してるんだよ、どうして素直に好きになれないんだよ、自己嫌悪の裏返しの同族嫌悪とマウンティングをするんだよ……と悲しくなってきました。


そんな風に考えすぎた結果か、齢19にしておたふく風邪を発症しました。おかげさまで合法的に大学もバイトもサボりおうちに引きこもってインターネットばかりしていました。その中で私は衝撃的なある音楽に出会うのです。future funkと呼ばれるその音楽は、サンプリングしまくりでコピペ感すら覚える音楽です。vapor waveと呼ばれる音楽から派生したのですが説明がめんどいのでググってください。他人の褌で相撲を取っているため著作権的にはグレーな音楽でMADに近いものがあります。future funkの作り手たちは海外のOTAKUでした。彼らは「てめえどこで知ったんだよ」的な80年代のディスコチューン、日本のAORアイドル歌謡をサンプリングし、現代的にリミックスしていました。そこでAnimeの画像(なぜかセーラームーンきまぐれオレンジロードが多い)を貼っつけgoogle翻訳から生成したイミフな日本語のタイトルをつければ完成です。百聞は一見に如かず、なのでこちらをどうぞ。


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すげーカッコいいじゃん!と衝撃を受けました。大衆に馴染まないでたまるか根性で80年代インディー系を漁っていたため、OTAKUが80年代のメジャーフィールドの音楽をdigっていたことにも衝撃を受けました(彼らにとってはインディーなのでしょうが)。何より、彼らは堂々とOTAKUしていました。何はともあれ好きなものを好きと言い、OTAKU同士コラボも盛んにやっていました。こんなにカッコいいオタクのあり方があるのか、と海の向こうの同士に教わった気がしました。彼らはすごく私の目に輝いて見えた。


今思えば、ヒップホップやラップへの偏見が薄れたのもこの出会いがきっかけでした。future funkのトラックメーカーはラップ曲も作成してました。ナードラップとの出会いです。


自分の好きなものを堂々と好きだといっていいのか。卑屈にならず、デュフフせず好きだと言っていいのか。OTAKUイケてるだろ!!!!という魂の咆哮は「オタをステルスすべき」思想の呪いを解きました。


I’m a hentai superstar


これを超えるパンチラインがあるでしょうか。あったら連絡ください。ここまでhentaiされると逆に清々しいものがあります。hentaiやsenpaiでラップしていいんだ……hentaiを堂々と表明していいんだ(よくないんだろうけど)と正体不明の感動を得ました。


カルチャーショックでした。彼らの音楽はsoundcloudでタグ付けされつつも「偏見を超える音楽」であり「好きなものを好きな自己を肯定する音楽」だったのかもしれません。彼らの音楽を聴きながら憂鬱な通学列車の車窓を80年代風味を残した夢のネオ・ロマンOTAKU都市TOKYOに塗り替えていきました。


「社会化」するには「#普通の人」のふりをしなきゃいけないと思ってた。けど「#普通の人」にもなれなかった。だからといって「#マニア」にもなれなかった。よりマイナーなものが好きだと言えば戦闘力が増え、あえてメジャーなものを褒めたらトリッキーな攻撃力が増える。小野ほりでい氏や渋谷直角氏が切り込んでいるサブカルマウンティングにも疲れてしまった。よく「オタクは○○」「ウェイは△△」といった類型化テンプレ構文や画像が回ってきます。確かにあるあるだなーと共感はするのですが、オタクでも△△な人はいるやろ……とどうしてみんなラベル付け、タグ付けするのかなと思えてきました。相対的な位置を知ることで自己を知りたいのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でも、いろんな要素がごちゃ混ぜなのが人だと思うのです。原色を混ぜていろいろな色ができるように。「Gが150入ってるからこれ緑色な!」っていや赤も青も入っとるやんみたいな。


フォロワーさんの実況をきっかけにフリースタイルダンジョンを見始め、秋ごろからハマっていきました。典型的な日本語ラップdisマン(そのくせはっぴいえんどは手放しに誉めるタチの悪さ)だったのですがホイホイやられてしまいました。hiphopは現在digっている最中なのですが、なによりも「自己表明の音楽」なのがおもしろいなぁと思います。たとえヤンキーじゃなくても「#普通の人」と言われそうな人でも「俺はこんな人間なんだよヴォケ!!!!!」と語ればhiphopなのかなぁと思います。この定義で合ってるのかどうかは分かりませんが。そして最初はよさが1mmも分からなかったR-指定をおもろいやんと思うようになり、インストに行くまで至りました。ようやく振り出しに戻ったここでわかりみが深い彼の言葉を引用させていただきます。

「おまえらのやってることがいかにムダか、何が好きかで自分の価値を決めようとすることがいかにアホか思い知れ!」みたいなことを、最下層から言ってるみたいな精神状態なんですよ、たぶん。

高岡洋詞オフィシャルサイト「タピオカジャーナル」


好きなものが何であるかも、好きなものにどれほどの熱量をかけるかも、本当は貴賎がないはずです。どうして僕らは比べたがるのでしょうか。きっと自分探しなのでしょう。タグ探しなのでしょう。居場所探しなのでしょう。私もいまだに何度も「自分のニッチはどこにある?」と自問自答繰り返しあ゛ーーーとなっております。ただゲスの極みではありませんが結局「私以外私じゃない」のです。川谷絵音は意外といいことを歌っているのかもしれません。替えどころのない私たちは、自分が何者かわからず比べあい、ハッシュタグのような記号をまとい、それで己を定義するのでしょう。しかしCreepy Nutsが歌うがごとく完璧にタグ通りの人間なんてほとんどおらず「黒に近いグレー」「白に近いグレー」の幅広いグラデーションの上にいる有象無象なのかもしれません。その中で時にうまくデフォルメしあるハッシュタグの集団の中で生きていくのでしょう。そうして社会化していくのでしょう。でも、だけど、振り切れてないぼくたちは……




「やっぱね やっぱね 俺らどこにも馴染めないんだってね」



結局、自分は自分以外の何物でもないし、それ以下でもそれ以上でもないのです。俺は俺をレペゼンするしかないのです。自意識との闘いは続いていきます。俺たちの居場所はなかった……だけどそれでよかった。