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ドンキにもヴィレバンにもなじめなかった私 (前篇)

Creepy Nutsの「助演男優賞」を買いました。トータル20分ちょっとで1600円くらいなのですがいいアルバムです。

助演男優賞

助演男優賞


私は発売日に新宿タワレコで買いました。彼らのインストがありその空気に乗せられてしまったのです。いくらR-指定がダンジョンに出てる売れっ子でも平日やしそんな人来ないやろ、とたかをくくっていたらまさかの満員大入り。300人規模のライブハウスかここはと思いました。


結局インスト時にはDJ松永の方を見て楽しそうなR-指定を人の頭越しに楽しそうやなぁ……と眺めていました。今までマイナー(志向のステルス・メジャー)なミュージシャンのみ追いかけていた私は店で推しの曲がガンガン流れるという状況に呑まれてしまい、ほとんど見れなかったしここまで来たら見てやるかとサイン会付きのCDを買ってしまったのでした。まんまとはめられてしまいました。結局長蛇の列に並ぶのに疲れ、お二人を冷やかすことなく家路についたのでしたが。


罠にはめられしかも甘い汁もすすらず時給1.5h分の散財をしちまったよと忸怩たる思いでCDを数日放置していたのですが、意を決して聞きました。
いいアルバムです。そのなかで白眉だと個人的に思ったのは2曲目の「どっち」。コアなファンは「未来予想図」とかを推すのでしょうが私はそれこそ冷やかし半分のにわかミーハーなのでこの曲を推させていただきます。と、卑屈根性を出したところで気持ち悪いオタク語りをしようと思います。


www.youtube.com
公式のトレイラー動画。「どっち」は0:20~、1:20~聞けます。

ドン・キホーテにも ヴィレッジヴァンガートにも
俺たちの居場所は無かった… 
だけどそれで良かった


「どっち」はそんなフレーズから始まります。この曲に関しては作者二人がよく語ってるので記事読んだ方が早いです。

Creepy Nuts、“どっちでもない”からできること「ドンキの人ともヴィレバンの人とも、ラップや音楽で戦える」 | Real Sound|リアルサウンド


歌詞は体育会系カーストの極地ドンキと文化系カーストの帝王ヴィレバンを例に出し、ヤンキー・サブカルどちらも皮肉るといった内容。文化系は体育会系をdisるけどあんたらやってること同じじゃありません?といったR-指定のサブカル叩きがDJ松永のヴィレバン受けしそうなトラックの上で炸裂する曲です。ドンキもサブカルもダンジョン見てます!の後にくる展開が激熱激エモなのですが買って聞いてください。私も騙されて買ったんだから。まぁそんな曲を聴いてふと自分の人生を思い出したりしたのです。といっても20年しか生きてませんが。


ドンキにもヴィレバンにもなじめず、居場所にもがいてた頃の自分を。


ふつーの郊外の小学校で育った私は、浮いてる子でした。いじめられっ子でした。同じ幼稚園の子が少なかったってのもあると思います。あと一人っ子で同年代と付き合うのがいまだに苦手。協調性もない。
小4のころ、同じ幼稚園に通ってた子もやるからといった理由で某中学受験塾のテストを受けました。受験なんて眼中になく、地元の公立中行く気でした。受けたらどうやら私は偏差値が平均よりはちょびっと上らしいと判明し、流れで通塾することになりました。そして私立の文化祭に行ったりして、流れで受験することになりました。


塾では男子と追いかけっこしたり授業中憎まれ口をたたいたりテスト中寝たり、好き放題してました。塾ではいじめられなかったし、女の子のめんどくさい対人関係もそれなりにうまくやってたのです。塾が居場所でした。紆余曲折を経て、第一志望の女子校に進学しました。
そして、地元の中学校に進学しなかった私は、「ちょっと違う人」の扱いを受け、お祭りで町内会の山車にも乗らなくなりました。小学校の同級生との関係は清算されました。マイルドヤンキー、「ドンキ」への道はそこで絶たれたのです


花の女子校生活ですが、年頃の女の子が40人ほど同じ空間に集まればそこは阿鼻叫喚の地獄です。女子校の人間関係はめんどくさいとか闇とか言いますが、(そして女子校出身者はそんなことないよ~と否定するのですが)半分は真なりと思います。
部活や同じクラス、小学校、塾、成績、付属組か受験組か。
複雑に入り組んだ状況の中、生き抜くためにグループが作られ、スクールカーストもそこに発生します。受験で入った子は状況がつかめず、地雷を踏んだりします。板挟みになったり。部活が盛んだったため、あの役が、あのポジションがといった嫉妬もありました。
新天地で浮かれていた私は柄にもなく背伸びをし、地雷を踏み、1年から先生に大変お世話になりました。自分の人間関係を生き延びる力が貧弱だから先生に余計な迷惑かけたことへ申し訳なさを覚えました。


「これでも読んで、女社会の生き抜き方を勉強したら」


その時母が渡した本が辛酸なめ子さんの『女子の国はいつも内戦』


女子の国はいつも内戦 (14歳の世渡り術)

女子の国はいつも内戦 (14歳の世渡り術)


この本は自己分析のフローチャートから始まり、ヒエラルキーが生まれる背景、男子や帰国子女から見たヒエラルキー、女子のグループ属性解説となじみ方、ママ友や同窓会といった中高ヒエラルキーの「その後」まで描いた怪書です。イケてるグループに中堅グループ、オタグループに入るためにはどんなグッズを持ていいのか。何を話せばいいのか。どんな字を書けばいいのか。どんな制服の着こなし方をすればいいのか。お昼ご飯の時間を、移動教室の時間を、休み時間を、どう過ごせばいいのか。時にネタを仕込みつつも居場所がない・危うい女子たちの生存術を書いたこの本から多くを学びました。


今思えば不思議なことなのですが女子の社会ではまるで同じハッシュタグの人間が寄ってくるかのようにグループが形成されます。言うなれば、『女子の国はいつも内戦』はハッシュタグのつけ方、記号のまとい方を解説した本です(例:イケてるグループの文房具はディズニー、真面目・中堅は無印とかコクヨ)。「#イケてる」の奴はイケてるグループに、「#真面目」の子は真面目グループに、「#オタク」の子はオタクグループに。決して「#イケてる」でも「#真面目」でもない私の居場所はどこなんだろう?結局、塾時代の友人や真面目で心根のいい友人に甘えさせてもらってなんとかそこを居場所にしていたのでしたが。


一方、部活は小規模だけどいい雰囲気でした。同学年は私含め二人で、先輩の方が多かったのですがゆるい文化系だったのでそこまで上下関係は厳しくありませんでした。そこからオタク・腐女子の薫陶を受けました。だからと言って同学年のオタク・腐女子のグループには馴染みませんでした。同学年のオタク・腐女子はジャンプ系漫画を愛好していました。青少年向けマンガ・ゲームに対して母は否定的だったためジャンプは読める環境ではなかったのです。私はヘタリア腐女子として育ち、帰り道に本屋で「モーニング」や「モーニング・ツー」を立ち読みするオタクでした。「クレムリン」と「チェーザレ」、惰性で読んでた「エレキング」、背伸びして読んでた「変ゼミ」。「鬼灯の冷徹」は第一話からリアタイで知ってます。私はオタクになりました。しかし「#オタク」ではなかったため、オタクグループのメンバーにはなれなかったのです。



結局、私は「#変人」という枠になりました。小学校の頃からお相撲が好きだったのですが、巡業へ行き白鵬に偶然サインしてもらってから(おそらく制服で行ったのが功を奏したのだと思います)相撲熱が高まりました。中3ごろからtwitterをはじめ、当初はvipper、アニオタとしてやっていたのですが「#sumo」をきっかけに徐々に相撲クラスタという看板を背負うこととなりました。アニメオタクに比べ、年齢層が高いのが私にも合っていました。相撲もアニメ実況のように楽しめるのか!と驚きました。何より、おじさん、おばさんだけでなくアニメアイコンやこじゃれたアイコンのお兄さんやお姉さんが相撲に熱狂しているさまが新鮮だったのです。稀勢の里のことをネタにしていたら段々本気で好きになり、以降twitterでも学校でも稀勢の里芸人としての道を歩むこととなります。名古屋場所などはテストと被るので地獄でした。私の成績は稀勢の里の取り組みにかかっていたのです。



高校から某ステルス・メジャーのファンになった私は80年代サブカル女となりテクノ御三家、戸川純YMO渋谷系電グルbjorkといった音楽を図書館で借りては「#変人」な友人に布教していました(もちろん結果は惨憺たるものでしたが先生とは仲良くなりました)。廊下でかっこいいジャンパーを歌うといった高二病を発症しました。



Denki Groove - Wicked Jumper [Live at FUJI ROCK 2006]


それでもtwitterでは馬の骨よりも相撲クラスタの方が居心地がいいなと感じていました。どちらも個性的な人が多く見てて楽しいのですが、馬の骨とはなんとなくノリが違うなと思ったのです。ただ一方で、自分は「サブカル」だし本も漫画も好きだけど「ダ・ヴィンチ」じゃないし音楽雑誌には好きなミュージシャンは載ってない。タワレコで漁るのは大人の邦楽コーナー。かといって 「これ知ってる? 知らない? そこはおさえておこうよ」 な博覧強記のロックおじさんでもない。憧れのヴィレバンに行ってみたら、欲しいものがなく変な匂いがしてた。好きなものはサブカルだけど、「#サブカル」ではなかったのです。同族嫌悪でもありますが「敢えてのニッチ(の割にはマスな気がする)」「流行にアンチ 今逆にこっち」「偏った見地」に反吐が出たのです。


一方リアルでは真面目なのに「#真面目」からあぶれ、「#イケてる」になりたいけどズレてる、「#オタク」じゃないけどオタクな「#変人」が私の周りに集いました。あぶれた残り物たちの集団と言えばそれまでですが、似た価値観を共有してたので居心地はよかったです。むしろ変人たちが常人の里に下りず変人で自治しているので常人にとっても変人にとってもwin-winやんけと開き直っていました。中高一貫校のいいところは、長年過ごすと段々キャラが分かり固定化されて、「まぁあいつはあんな奴だもんな」といった大人な付き合いができることです。高校に入ると異分野交流も増えてきました。「#変人」のなかでもわりと常人に近い(と思っていた)私は、周りの「#変人」たちと里の常人様の価値観の違いや「#変人」な友人の居場所を作るのに悩まされつつもなんとか6年間、「#変人」という市民権を得て生き抜きました。
そしてこう思ったのです。




「大学では浮かない、普通の人になろう」




そこから阿鼻叫喚の地獄がまた待っていたとは知らずに……。それはまた、次の機会に。