読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

平井堅はもしかしたらドラえもんを共依存の話として見てるのかもしれないと思った話

音楽

ミュージックステーション。見ましたか。いやぁよかったですねえ。何がよかったってそりゃオザケンです。ワイプでも往年のすべてを見下したような表情を全く崩さない王子様。最高ですね。新曲も最高ですね。微妙に見切れてるよくわからないダンサーは何なんだと思ったらパーカッション担当なんですね。Hey-say-Jump!あたりをお目当てに見に来た女の子たちは誰だこのおじさんと思ったんでしょうけどオザケンオザケンなのです。相変わらずオザケンすぎて最高でした。オザケンの前にオザケンなし、オザケンの後にオザケンなしと歌われたオザケンぷりでした。VTRに出てきたブギーバックを歌うYONCEをふふんと笑う様子はまさにシティポップ界のラスボスとしてふさわしい姿でしたね。


さてオザケンが出た瞬間twitterのトレンドはオザケンになりこの文章もゲシュタルト崩壊するほどオザケンを連呼しています。そんなオザケンは人間だけでなくネコ型ロボットにまで見下した表情を崩しませんでした。最高ですね。タモリさんに言及することを忘れた哀れなネコ型ロボット、その名はドラえもんです。テレビ朝日を背負うネコ型ロボット。スタジオにいたのはペッパー君のごとく聡明なネコ型ロボットでなく水田わさびさんの声を当てられた哀れな着ぐるみだからタモリさんに触れるのを忘れてしまったのでしょう。そんなドラえもんがなぜMステにいたのか。番宣です。正確には映画の宣伝ですが。テレビ朝日非実在ネコ型ロボットの映画で何億円をも稼ぎそれに社運をかけているのです。そのためタモリさんに言及することを忘れてもMステの場にいることが許されたのです。なんて恐ろしいネコ型ロボットなのでしょうか……。

f:id:grjti:20170225224913j:plain


さて、そんなタイアップ枠で登場したのが平井堅です。ドラえもんの映画主題歌を担当されるとのこと。ネオ作務衣と言わんばかりの服装を身をまとい、ピアノと織田信成さん、浅田舞さんのダンスを添えてしっとりとしたバラード「僕の心をつくってよ」を披露されました。


youtu.be

「僕の心をつくってよ」のMV。これもこれで衝撃作なのですがMステのパフォーマンス準拠で語ります。


「僕の心をつくってよ」、タイトルからして印象に残るパンチラインですしメロディも内容も「ファミリーで見に行って感動して泣ける」近年のドラえもん映画にぴったりな素晴らしい曲です。クライアントのニーズに合わせたといった意味でも文句なしですし、ドラえもん抜きでも純粋にいい曲です。Mステのパフォーマンスもさすがとしか言いようがありませんでした。しかし歌詞を見ながら、この曲実は半端ない「闇」を抱えているのではないか……と邪推してしまいました。「闇」なんて陳腐な言葉あまり使いたくはないのですが、この曲をただの「家族で安心して見れる感動アニメの主題歌」として聞いていいのかと。平井堅はもしかしたら万人受けする感動の裏に、スパイスを効かせているのではないかと思ったのです。


さて問題の「僕の心をつくってよ」のサビです。

ねぇ 君のずるさを晒してよ
ねぇ 僕のダメさを叱ってよ
これからも この先も 僕の心を作ってよ


これはのび太視点の詩になってますね。ドラえもんのび太の関係性がよく表されてる。最後に歌詞のタイトルを入れ効果的なフックを形成しています。サビは以下のように続きます。

ねぇ 君が笑うと弾むんだ
ねぇ 君が泣いたら痛いんだ
君だけが 君だけが 僕の心を作るんだ


これはドラえもん視点の詩になってますね。のび太とともに泣き、笑うドラえもんが描写されてます。「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」を超え悲しみをも自分のものとして受け止める関係性が描写されています。のび太視点の「僕の心を作ってよ」はドラえもんを導き手として見ているジュブナイル要素を持った言葉です。対してドラえもん視点の「僕の心を作ってよ」は、量産型ネコ型ロボット(不良品)だけど君との日常で思い出を重ねていきたい、唯一無二の存在になりたいといったSFロマン的な要素を持った言葉になっている。素晴らしいダブルミーニングです。


しかしこの曲を聞いて「不穏だ……」と感じたのはこの「僕の心を作ってよ」というパンチラインの重さです。とくにドラパートの「君だけが 僕の心を作るんだ」です。確かにドラえもんのび太ドラえもんの関係性を軸にした物語だからのび太「だけ」がドラの心を作る、でいいのかもしれません。この曲は「君」と「僕」の強固な絆が描かれドラを超えて素晴らしい曲なのですが、AメロBメロの歌詞も含めて読むとすごく不穏に聞こえる。具体的にどう聞こえるのかというと、共依存に聞こえるのです。


Aメロでは「君」との出会いで「僕」がアイデンティティを獲得する様子が描写されています。他の人といても「僕」じゃない気がする僕。そんなの「僕」を「君」だけは見つけてくれたのです。この時点で第三者はシャットアウトされ、濃密な「君」と「僕」の世界が確立されます。

そして次のBメロで

傷つく一緒と 傷つかないひとり
君となら 傷ついてもいいかな


と続きます。感受性を殺し孤高の人として生きるよりも君とともに傷つき思い出を作って生きていきたいということでしょうか。傷つくのはつらいけど、君と一緒に生きるのなら傷つくこともできるといった風にもとれます。君と一緒なら、人間性を手に入れ社会に参画できるとも取れます。


ここでMステでは浅田さんと織田さんが背中合わせで立ち上がっていました。私はこの振付に鳥肌が立ちました。一人だと体育座りしてしまうけど、二人だと立ち上がれる。ポンコツとポンコツでも二人支えあえば立ち上がれる。人という字は云々じゃありませんけど。感動的です。ただ、裏を返せば「君」がいないと一人で、「君」がいないと傷つくこともできないのです。ちなみにこの背中合わせのメタファーは大サビのこのフレーズへつながって行きます。


f:id:grjti:20170225225857j:plain

ねぇ 君の弱さを晒してよ
ねぇ 僕の強さを信じてよ
これからも この先も 僕の心を作ってよ


のび太が孤高の機械になりそうなドラに対し「僕の強さを信じて」と語りかけているのです。のび太の成長が描かれます。そして「僕」の心を作るのを懇願している。いくらお約束とはいえネタバレしてる感満載ですね。


最初は導き手と弟子であったのび太とドラの関係性が対等な友人になり、ついに逆転する。しかし二人とも相手に「僕の心を作ってほしい」のです。ドラはのび太の存在によって自らの立ち位置や「心」を獲得している。この曲のドラはのび太(との関係性・思い出)抜きでは社会性のないただのネコ型ロボットとなってしまうのです。一方のび太は自分を見つけてくれる、アイデンティティを教えてくれるのはドラしかいないと思っているのです。互いの存在が互いのアイデンティティ確立に不可欠なのです。これを共依存と呼ばずして何と呼ぶ。


そんな深ーいテーマを国民的アニメの主題歌としてお茶の間に流す平井堅は流石だなーと思いました。これは友情の歌ともとれるしラブソングとしても聞ける。ドラを超えたニーズを掴まえられる。そんな歌にこんなテーマを込めるなんて。正直、舌を巻きました。国民的アニメをこんな風に解釈しスポンサー枠でMステで出演。この日のMステで一番ロックだったのはもしかして平井堅だったのかもしれません。


正直、詩の解釈というのは正解がないので何とも言えませんが。あくまでも個人の解釈なので平井堅はそんなこと思っていないかもしれません。ただ詩って人によって取り方が幾様にも変わる。だから楽しいんですけどね。と逃げたところでお開きにしようと思います。


ヒライけんさんのCDはこちら。正直言ってジャケのヒライさんが寺田創一さんにしか見えない。


【早期購入特典あり】僕の心をつくってよ(期間生産限定盤)(オリジナルステッカー付き応募ハガキ付)

ドンキにもヴィレバンにもなじめなかった私 (後篇)

雑記 音楽

小中高を語った前篇はこちら。


grjti.hatenablog.com


人付き合いが下手くそでどのグループにもなじめず「#真面目」みたいな記号もまとえなかった小生。「#変人」という枠になり現実でもtwitterでも稀勢の里大好き芸人として活動し、オンラインでは80年代サブカルクソ女としても活動。2足のわらじを履き行ったり来たりで好き勝手やっていました。中高一貫女子校のゆるさに助けられ、なんとか居場所を作り6年間やりすごすことができました。そして卒業後、決意するのです。



「普通の人になろう」



「普通の人になる」、それが私にとっての大学デビューでした。まず自分を「変人」と思ってる時点で自意識過剰も甚だしいのですが。しかし私がどこのグループにも馴染まなかったのは事実でした。相撲好き芸人な私を皆「変人」と呼びました。私の周りにも「変人」と呼ばれるような人間が集まりました。


生存のため、人に喜んでもらうため過剰なほど自己を誇張するところがありました。人に笑ってもらえる、喜んでもらえる、そこに自分の存在価値を見いだしたのです。ふぁぼられリツイされて承認要求が満たされました。おもしろいね、と言われることが最大の褒め言葉でした。冗談や誇張して言ったことも徐々に本当になっていくのが言葉の恐ろしい所です。自分のセンスに関しては半端ない自信と矜持を持ってました。ファッションセンスはないけど笑いと音楽、文章のセンスは誰にも負けんと。


要するに、道化だったのです。人を見下す高いプライド、そんな人に認められたくて存在理由を、居場所を与えてほしい。ひん曲がった承認要求の塊でした。


私は自分が変人の中では常人寄りだと思ってました。変人、ではあるけど女子の間の不文律は破ってないと思ってました。変人でありながら、変人と常人の仲介役となることによって自分の存在価値を得よう、プロップスを得ようとしたのです。仲介役と書くと聞こえはいいですが、自ら貧乏くじを引くことでした。バロテッリを叱り、新入生長友をお姫さま抱っこし、ジダンに頭突きされる、マテラッツィに憧れたのです。しかし仲介役を(別に誰にも言われてないのに)買って出た結果どうなったのか。疲れてしまったのです。女子の不文律を破る変人の後始末をなぜ私だけがしなきゃいけないのかと泣き叫ぶこともありました。常人の記号がまとえないからだし、自分で選んだのに。尊い犠牲が出来るほど、私は聖人ではなかった。いい子でも、計算高くもない女の子だった。

f:id:grjti:20170220201853j:plain


もうこんな思いこりごりや。普通の人のふりして、普通の子たちとつるんで、こんな貧乏くじ二度と引かないようにしよう。いわゆる大学デビューです。まぁゆるいサブカルちゃんめざして擬装のため椎名林檎を聞いてみたりしました(今思えばチョイスがおかしい気もしなくはない)。


入学前、「#春から〇大」や学科名で検索し未来の同級生や先輩をリサーチしました。同級生たちはまるで判でおされたような毒にも薬にもならないようなクソつまらないことばかりつぶやき来るべき日のため顔の見えぬおともだちとおしゃべりしていました。生存レースは入学前から始まっていたのです。どうせ今つるんでる奴とも実際に会ったら続かないで黒歴史になるだろと斜に構え見ていたのですが、入学前からライングループが作られ入学式の後にご飯食べよー!なんて計画がなされていました。どんな人間かも分からないし、しかもこの先4年間を共にする人間となぜ即twitterで話せて飯も食えるのか。生存のためなのかそれとも単に楽しくてやっているのか。そもそもインターネットに触れた時よく見ていたのが2chだったため(文字どおり半年ROMったほどバカまじめでした)、インターネットに本名や写真を晒す感覚もヒヨンドマイ理解力でした。リア垢を作る気もなく「一般的な大学生(予備軍)」にカルチャーショックを受けつつ入学式の日を迎えました。

続きを読む

ドンキにもヴィレバンにもなじめなかった私 (前篇)

音楽 雑記

Creepy Nutsの「助演男優賞」を買いました。トータル20分ちょっとで1600円くらいなのですがいいアルバムです。

助演男優賞

助演男優賞


私は発売日に新宿タワレコで買いました。彼らのインストがありその空気に乗せられてしまったのです。いくらR-指定がダンジョンに出てる売れっ子でも平日やしそんな人来ないやろ、とたかをくくっていたらまさかの満員大入り。300人規模のライブハウスかここはと思いました。


結局インスト時にはDJ松永の方を見て楽しそうなR-指定を人の頭越しに楽しそうやなぁ……と眺めていました。今までマイナー(志向のステルス・メジャー)なミュージシャンのみ追いかけていた私は店で推しの曲がガンガン流れるという状況に呑まれてしまい、ほとんど見れなかったしここまで来たら見てやるかとサイン会付きのCDを買ってしまったのでした。まんまとはめられてしまいました。結局長蛇の列に並ぶのに疲れ、お二人を冷やかすことなく家路についたのでしたが。


罠にはめられしかも甘い汁もすすらず時給1.5h分の散財をしちまったよと忸怩たる思いでCDを数日放置していたのですが、意を決して聞きました。
いいアルバムです。そのなかで白眉だと個人的に思ったのは2曲目の「どっち」。コアなファンは「未来予想図」とかを推すのでしょうが私はそれこそ冷やかし半分のにわかミーハーなのでこの曲を推させていただきます。と、卑屈根性を出したところで気持ち悪いオタク語りをしようと思います。


www.youtube.com
公式のトレイラー動画。「どっち」は0:20~、1:20~聞けます。

ドン・キホーテにも ヴィレッジヴァンガートにも
俺たちの居場所は無かった… 
だけどそれで良かった


「どっち」はそんなフレーズから始まります。この曲に関しては作者二人がよく語ってるので記事読んだ方が早いです。

Creepy Nuts、“どっちでもない”からできること「ドンキの人ともヴィレバンの人とも、ラップや音楽で戦える」 | Real Sound|リアルサウンド


歌詞は体育会系カーストの極地ドンキと文化系カーストの帝王ヴィレバンを例に出し、ヤンキー・サブカルどちらも皮肉るといった内容。文化系は体育会系をdisるけどあんたらやってること同じじゃありません?といったR-指定のサブカル叩きがDJ松永のヴィレバン受けしそうなトラックの上で炸裂する曲です。ドンキもサブカルもダンジョン見てます!の後にくる展開が激熱激エモなのですが買って聞いてください。私も騙されて買ったんだから。まぁそんな曲を聴いてふと自分の人生を思い出したりしたのです。といっても20年しか生きてませんが。


ドンキにもヴィレバンにもなじめず、居場所にもがいてた頃の自分を。

続きを読む

向こう側からくることば

やらなきゃいけないことを色々放棄してこの文章を書いている。やらなきゃいけないことをやればいいのにこんな時間なら眠ればいいのにスマホに向かって風呂上がりのからだとしかめっ面してこの文章を打ち付けているのはことばが呼んでるからだ。随分メルヘンで痛々しくて哲学ぶってる表現なのは百も承知であるがパトスだけで生きている衝動的人生を過ごしてきた習性なのだ仕方がない。もう少し泥臭いことばに直すならことばを書きたくて仕方がないから、であろうか。これでもまだカッコつけている。もっとダサく恥部開帳するとしたら(私は私小説のことを恥のストリップだと思っている、どれだけ心の○○コを晒せるかが勝負である業界だと感じている)、独り言を言って一人で安心したいからだ。こんなことしても何も根本的解決には至らないが誰かに自分の悩みを聞いてもらってスッキリしたい、ただそれだけである。自慰行為を人様に見せつけているのと大して変わらない。しかもかわいらしいAV女優ならまだしもどこのマニアものでも需要があるのかわからないようなとるにたらない人間の面白みもクソもない自慰行為である。ただの心の露出狂である。


人はなぜ気を病むとことばに呼ばれるのか。とある小説家が元気な時には言葉は響かないと言っていた。一理ある。とても一理ある。わかり徹夜がならび「わかる」を同期するレベルで一理ある。病んでる時こそ心の中の闇が渦を巻く。昔のことやいやなことやコンプレックス、ありとあらゆることへの評価がこれでいいのか、自分の生き方はこれでいいのか、そもそも悩み方がこれでいいのか、こんなことをするよりもっとまともなことがあるのになぜしないのか。心の渦は竜巻となりありとあらゆることばを吸い尽くす。ひとつの怪物となったそれは私の心を荒らしまわる。思考は言葉だし神様すら言葉ってヨハネが言ってた。ヨハネ会ったことないけど。心の竜巻をほぐしひとつの線に、ただの言葉に、ただの私に分解するためこのようにして文章を打つ。そして残骸をホルマリン漬けしてストリップとして晒すわけである。

ここまで書いてある程度は落ち着いてきた。ただの自己満足なのでここで終わりたいと思う、と書いて終われなさそうな自分がいる。書く前はもっともっと何か書きたいことがあったはずなのに、もうそれはいつの間にか消えている。早くも賢者タイムである。つまらない露出狂のくせして闇の性欲も薄い。露出狂すら失格である。しかし人を心のストリップに走らせる感情は、怪物の一番怪物たるところではないのか。竜巻の竜巻たるところではないのか。ことばをほぐして分解して、幻が消えたとき、ことばはもうぼくを呼ばない。メンヘラは消えてただの人間だけを残していく。あれも書けなかった、これも書けなかった。その感情だけが我々を心の水商売へ呼び込むキャッチなのではないか。そして今日も病んでは書き賢者モードになってはまた病んで……と心の春をひさいでいるのである。

今日はここまで。