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甘い音楽

個人的にリスペクトしてる砂漠力士さんがこんな記事を書いてて。

 

sabakurikishi.hatenablog.com

 

TLにもちらほらキリンジやのんちゃんのCMが話題にあがる。エイリアンズ、聞いてみた。すごくいい。CMだと削られちゃうから薄くなっちゃうけどフルで聞くと甘い。大してイケメンどもないむしろイケてないが故に甘い恋愛を夢想しそうな兄弟がドアップで映る。月の裏とか。好きだよエイリアン、なんて甘い。分かりあえなくて分かりあえて一人で二人で孤独で二人きりの世界にいて。ああ、好きだと思った。こういう甘さ、好きだ。

 

CMだと薄くなっちゃうと書いたけど全然健闘してる方だと思う。キリンジって最初名前を聞いたとき「麒麟児」で変換されてそういえばそんな名前の力士いたよな……となった。物販のタオルには長い茶髪ポニテでピアスつけてる若い女の書道家が荒々しく「キリンジ」って書く系のバンドなのかな……と偏見を持ってしまった。で、メンバーが「馬の骨」として分離独立したと聞きこれも佐野実に似た某音楽家ではない)的な熱血ラーメン的音楽なのかなと思ってしまった。だけど全然違ってむしろ家系ラーメンよりも田舎町の陰がある小さなパン屋のような音楽だと知った。きっかけは藤井隆さんの「わたしの青い空」だった。まずレフト藤井が音楽してた(あとどうあがいても隆なのにカッコつける微妙にうまいダンスも)のが驚きだったのだけど、80年代高橋幸宏曲みたいなほの暗いお耽美エレポップなのが衝撃だった。

 


藤井隆 - わたしの青い空

 背伸びしてる17歳の少女に援助交際中の夢見る中年男性が贈ったような歌

藤井隆「わたしの青い空」 - :::夢見る乙女たちの夢が醒めないように:::

 

 って表現、絶妙ですね。逃げ恥でみんな夫婦を越えていっている間、グロテスクなくらいロマンチストな援交男性と夢見て大人ぶる少女の音楽を聞いていたわけです。絶対家系ラーメン食べて書道タオル回す人の音楽じゃない。純粋だから生きづらくてねじくれてしまっている人の音楽だと確信した。Line mobileののんちゃんも純粋だから生きづらいって感じをすごく醸し出してる。私もよく人にぶつかる。というかうまく避けられない。のんちゃんみたいな薄幸な美少女じゃないから変なポーズを取ってサーセン(小声)で逃げてく。

 

恋歌は大体甘い音楽なのだけどこういうああ、甘いな……って音楽はなかなか無くて。80年代のほの暗いてほの甘い音楽。最近聞いてるのはアーバン・ダンスの「6月の雨 -IN THE BORDER TOWN- 」。これもすごく甘い。もともとインストだったのを、2016年に再結成にともなうリメイク・トリビュートアルバム(U-DNA)を出す際に歌詞を付けてリメイクした曲。80年代高橋幸宏プロデュースでポストYMOとして売られただけあって、音が更新されてもメロディにはそんな感じがある。アーバン・ダンスって物凄く活動期間が短かったのに、なぜか後期は小洒落たラブ・サイコ要素を歌詞にぶちこんでくる。ちなみにU-DNAにはミッチーのカバーもあってどこまでもミッチーで最高……!ってなる。私はこの前ライブ見たけどボーカルの成田忍さんはふわっとした可愛らしい方でそんな人が、

 君が掛ける椅子になりたい

 


Urban Dance - "KISS X KISS"

(このMVから「私の青い空」に受け継がれてくダサおしゃれお耽美感を感じてほしい。映像エフェクトがまるで女児向けファンシー文具みたいなのも最高にオツで良い。)

  快楽信号(シグナル)で受け止めて

 なんて歌詞を歌っていたのだからすごい。ちなみに私が一番好きな曲はCAMERA OPSCURAって曲。ピチカートファイブとも関わりがあっただけあって、ネオアコっぽい要素もある一曲。でもこの曲も

 いつも見つめていた 僕は毎日 オペラグラスで

 とどう考えても不穏なのね。それでサビが

 カメラオプスクーラ 君を閉じ込め

カメラオプスクーラ 此所においでよ

 

だから一歩間違えてなくても犯罪なんだよな。でもこういうのを犯罪の一言で切っちゃうのはロマンがないしそういう人間にはなりたくないと切に思う。物騒な世の中だけどこういうロマンを切り捨てることだけは絶対にしたくない。

 

アーバン・ダンスの話でずいぶん逸れてしまったけどとにかく「6月の雨」はほんと甘くて。どんなに色恋悲恋失恋(サイコ)を歌っていてもやっぱアーバン・ダンスは男性の歌詞だなーと思う。マッシブさがどこかにある。別に男性にロマンな甘さが無いと言ってるわけではないよ。ただ6月の雨は他の曲に無い甘さがある。成田さんの奥さまの川喜多美子さんが作詞されてて、美子さん特有の少女性やメルヘン(だと甘すぎるかな)な甘さが歌詞にある。美子さんがやってたD-dayってバンドは成田さんプロデュースで2000年代再開したのだけどほんとかわいい。美子さんは声もかわいいし世界観もかわいい。6月の雨も

 遠くから誰かが 君の名を呼んでる

さよならも言わずに どこへ行くつもり

 なんて。これは女性じゃないと書けない歌詞だなぁーと思った。成田さんのエモい美メロや美子さんが元々持つ世界観の甘さに加えて、信頼しあってるんだなーって愛も感じる。

   

アーバン・ダンス/U-DNA

アーバン・ダンス/U-DNA

 

 

成田忍さんはDear futureのカバーもほんと素敵で。U-DNAでこの舌ったらずの美少女誰だと思ったらNARASAKIさんだった。原曲もロックで不思議で充分エモいんだけど成田さんの音と声でまた別のエモさが出てる。ピンドラ見よう見ようと思って未だに見れずにいる。ごめん。

 


DEAR FUTURE by Shinobu narita(URBAN Dance)

 

 信頼してる人間の甘さ、ってのはほんとあって。二人の関係性の甘さ。わりと「家系ラーメン」で、愛を語ると「苦労かけてるおめぇに いつか楽させてやる」な浪花節になりがちなヒップホップ。でも甘いヒップホップもある。リブロの「対話」って曲はカップルの対話や日常を描いた曲なんだけど甘い。ちゃんとヒップホップ的な要素や文法も入れててヒップホップしてるけど甘さもある。

耳塞ぎ聞こえてくる旋律 ここは二人だけの天竺

とか最高に甘い。ピアノをサンプリングしてるトラック(確か矢野顕子だったはず)も優しくて甘い。「携帯の電源は切っといて正解」といえるカップルが今どれほどいるのか。あと純粋に韻踏みまくっててすごい。この曲が入ってる「胎動」ってアルバムはほんと名盤なんですが表題曲の時点で

ただただそれは愛の渇望

言葉にするば他愛の無いもの

互いの愛こそ 重たいもの

感じ始めたら止まらない鼓動

 

って愛についてラップしてるんですよね……愛とコミュニケーションがこのアルバムを通してる軸なんじゃないかなぁと思ったり。リブロの対話とスパンクスの普通の恋は私の中の二大理想の恋です。こんなこと云ったらポエミー野郎だと思われそうですが私もグロテスクなくらいピュアなおじさんなんです。インターネットの上くらい夢を語らせて下さい。(おしまい)

 


Libro "対話"


futsu no koi

自意識という病:中村うさぎ『こんな私が大嫌い!』

健康診断をさぼるくらいには精神的に不健康な小生がお送りします。タイトル通りブックレビューです。タイトル通り紹介する本はこちら。

 

こんな私が大嫌い! (よりみちパン!セ)

こんな私が大嫌い! (よりみちパン!セ)

 

 

整形、買い物症候群、ホスト依存……と無差別重量級の経験と貫禄を持った中村うさぎさんによる本です。1時間ちょっとあれば読める量ですが、濃い。悩めるティーン向けに書かれてるのですが、どんなお悩みに答えてるかは一目瞭然。「自分嫌い」の悩みです。

 内容紹介
序章でうさぎさんは自らの「自分嫌い」を語ります。性格が嫌い。愛されようと皆に合わせても自分を抑える自分が嫌い。顔が嫌い。こんな顔じゃ誰にも愛されない。嫌い、嫌い、嫌い……。

「自分を好きになれば魅力的になれる」と雑誌は語りかけます。でもそんな簡単に好きになれねーから苦労してんだよ!!!!!とうさぎ氏は返します。欠点を好きになるのは難しいこと。でも大人も対処法が分からないからそう返しているのです。一方、「自分好き」人間にも出会ってきたうさぎさん。彼らを見ても羨むことはありませんでした。嫌われても気づかないほど鈍感な人や、無理やり自分を好きになってる人だったのです。あるあるですね。
 
けどやっぱり自分嫌いの中で生きるのは苦しい。欠点は変えられる?人からどう見えてる?てかそもそも自分って何?悩みに悩みぬいたうさぎさんが出した結論が「自分が嫌いでも生きていける方法」がある、というものでした。
自分が嫌いでも生きていける方法って?そもそも自分嫌いって?といった内容について語られます。
 
うさぎさんはまず優越感と劣等感について語ります。誰も彼もかが優越感と劣等感の狭間でゆれているのだと。人と自分を比べ、私はあの子よりは美人、あの子よりはブス……そうして揺れ動くのだと。ここで美容整形の話も出てくるのですがうさぎさん曰く整形クリニックに来るのは傍目から見ると直す必要がないようなかわいらしい子が多いとのこと。ただ一見綺麗に見える人ですら他のもっと綺麗な人を見ては劣等感を抱き直したくなるのだそう。自分の中で描いた理想と「自分から見える」自分の乖離にがっくりくるんだそうです。怖いですね。
 
ちょうどこの本読んでた時ねほりんぱほりんも整形特集してたんですけどコンプ治して自信持ってでもまたコンプ見つかって……なサグラダファミリアぷりにマジでこうなんだ……とビビりました。怖いですね。 

自分の顔にメスを入れ続ける女性たち。彼女らは「やりすぎ」に思えます。過剰に自分をいじめてるようにも思えます。それでもメスを入れるのはなぜなのか。うさぎさんは「自分嫌い」の呪いの例としてカレン・カーペンターの話を出します。才能があり、多くの人に愛されてきたカレンも「自分はデブ」の思い込みで拒食症にいたりついに死んでしまう。自己評価をゆがませ客観性を奪う「自分嫌い」の呪いは命すらも奪う。なぜ「自分嫌い」でこんなにも苦しむのか。うさぎさんはその理由を「愛されない理由を自分の欠点に求めるから」と語ります。自分が愛されないのはダメな子だから。どんな瑕疵があっても愛されていれば胸を張れる。けど愛されなければ生きている価値を見いだせなくなる。愛される価値なんて人ひとりが、自分一人が決めるものでもない。「自分は愛される価値なんてない」と思うのは自分自身に対するイジメなのだと。
 
ただうさぎさんはカレンが音楽家として大成したのは強烈な「自分嫌い」の呪いがあったからじゃないのかとも考察しています。「何者かにならないと、自分は愛されない。愛されないと私には生きてる価値がない」と思っていたからあそこまで歌に打ち込めたのではないかと。愛されてると自己肯定感を抱けていたなら彼女は普通の幸せな人生を送れていたのかもしれない。芸術家は「自分嫌いの呪い」にかかっているからこそ追い込め素晴らしい表現ができるのだと。でも彼らは喝采を浴びても平凡な、幸せな人生は送れない。常に急き立てられ生きる彼らは自らの幸福を犠牲にするから結果的に尊敬されるのだと。
 
 人生って何かを諦めながら生きていくことなのかもしれない。(中略)でもね、何かを手に入れたら、別の何かを諦めなきゃいけない。非凡な生き方を選べば、平凡な幸福は遠のいていく。それが人生なのよね。
 でも、これって逆に言うと「何も手に入らない人生なんてない」ってことなんじゃないの?
 
うさぎさんは「自分嫌いでも生きていける方法」として「自分への執着をなくす」ことを挙げてます。言い換えれば「自分と距離を取る」こと。自分が好きなのも嫌いなのも自分に対して執着があるから。客観的に「まぁ、こういう人間だもんな」と思えば楽になれる。うさぎ氏は自分嫌いな人を自分が好きな人でもあると分析しています。自分のことが好きだから、本来の姿である完璧な状態ではない今の自分が許せない。自己評価が高いからこそ自己嫌悪になる。むっちゃわかるぞ……。「自己評価が低すぎる人」は自分に厳しい人に見えてだれよりも自分を高く見積もってるうぬぼれ屋さんじゃないのか。「自分嫌い」は「自分が好きすぎること」の裏返しなのだと。自己嫌悪と自己陶酔は表裏一体だなとよく思うのですが、うさぎさんのこの表現はその核心をついているように思えます。

分かりやすく手を打てる外見に対し、内面はどうなのか。うさぎさんは「そんな簡単に性格は変わらないでしょ」と斬ります。でも嫌なとこを無理やり好きになるのも受け入れるのも難しい。うさぎさんは「長所と欠点は裏返しだ」ということに気付きます。完璧な人間なんていないし。この「長所と短所は裏表」という考え方はただ短所を正当化してるようにも思えます。けど「長所の裏にある短所を見出す」風に使えば自分を客観的に見れるようになる。そうすれば自分が好きでも嫌いでもなくなる域に近づけるのだと。
 
自分への執着をなくしたうえでどう生きるか。うさぎさんはそこで「自虐ギャク」を提案します。うさぎさんは2丁目に入りびたりオカマたちの逞しさに魅了されます。彼(女?)らは自らの性的嗜好に向き合い、悩んだ末開き直り人々に笑われながら笑い返す生き方を選んだ。「アンタたち、あたしらを笑うけどアンタはそこまで高尚な人間なの?」という毒を含んで。己をギャグにするのは難しくて、自分を客観的に見れないとできないことなのです。ダメさを嫌うのも仕方ない。ダメな自分を直すのにも無理がある。じゃあ人を笑わせろ。どうせみんな多かれ少なかれダメさは持ってる。ならば笑わせろ。笑わせて、人の優越感をくすぐれ。人から笑われ、好かれれば自分を嫌いにならずに済む。笑われて己自身を知れ。

雑感
中村うさぎとR-指定ってメンタリティ近いのかなとふと思いました。(お前またR-指定の話かよと呆れられそうですが許してください。そろそろR-指定からキモがられても文句言えねぇ)

Rさんも「俺はなんでもないとそう気づけたとき それは真の意味で俺が俺を見つけたとき つまらなくていい、くだらなくてもいい もう誰とも比べなくていい」と「朝焼け」の中でラップしてまして。うさぎさんは比べることで客観的に自己を見つめられるから比較肯定派なんですけどね。それよりも比較したときに生まれる優越感や劣等感とうまく付き合っていこうよってのがうさぎさんの主張です。ただRさんもドンキにもヴィレアンにもなじめん!と歌い自分の立ち位置が分かってるじゃないですか。相対的に物を見れるから自己分析力・プロデュース力の高いのだと思うんです。お二人とも「ああ、自分ってこんなもんか」って「何でもない自分」を見つけて道化として、弱っちい自分を晒すことによって笑ってもらう。笑ってもらうことに価値を見出し、エンターテイナーとして生きる。すごく似てると思うんですよね。対談してくれ……。
 
ただ自虐ギャクってすごく難しくて。twitterや実生活でやるのですがほんとに卑屈になってる気がしてきます。そもそも女子校文化の中のらりくらりと生き抜くため自虐ネタを仕込んでいたためもう癖になってしまって。自己肯定感がどんどん下がって行くのを実感します。自分を客観視して、「何でもない人」だと自覚したうえ自虐するのは結構難しい。何者かになりたいし直せるところは直したいし。自己愛と自己期待値が高いのは重々承知なのですが……。
 
ああ、こんな人間なのかとか「何者」かになれるのかなれないのかってのは経験を重ねないと分からないところがあるのかもしれません。私は私以上でも以下でもないと気づけたら、多分生きるの楽になるんだろうなぁ。感情に取り込まれず、外から見つめることができたら楽なんだろうなぁ。まだ自己愛と感情への執着を手放せないけど、あがいてもがいてここに醜態をさらして生きていこうかと思います。
 
 大丈夫、あなたに必要なものは必ず見つかるし、それは必ず手に入る。あなたが自分をイジメなければ、あなたはきっと幸せになれるのよ。

 

Creepy Nutsのライブに行ってきたよ(はじめてのえんせい)

どうも。タイトル通りの話です。ゆるいレポと感想です。あと旅行記。
去る3月23日、Creepy Nutsのレコ発ツアー「いつかのエキストラ、ライブオンステージ。」に行ってきました。ファイナルの恵比寿リキッド行きたかったのですが、先行でソールド。キャンセル分も即完売だったので高崎まで馳せ参じました。
遠征(日帰りですが)バージンをまさかラッパーに捧げるとは思いもしませんでした。マジ人生何あるか分からねぇ。新幹線切符を取り、ドリ代ロッカー代テケツを持って電車に乗りました。

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開演前観察記

高崎駅に降り立ち、まず寒さにやられました。北関東寒い。寒すぎるよ!トイレに入ったら地元のJKが黒タイで南関東のソックス文化に育てられた私はカルチャーショックを受けました。駅で若者を見るとみんなライブに行く人かしら……と心なしかそわそわします。マイルドヤンキーの姿もちらほら。小生は南関東の某タオル回しちほーに住んでいるのですが、どこか雰囲気が違うなと感じました。北関東のマイルドヤンキーの方が「重い」んです。うまく言葉にできませんが山の者と海の者の違いでしょうか……。旅は新たな発見や気づきを与えてくれます。

 

会場どこかしらとスマホ片手にうろうろしていたらヘッズな会話をしているアベックが。ついていったら会場に到着。こういった現象はどの界隈でもあるんだなぁとホッとします。客層に関して第一印象は「思ったより普通の人が多いな」といったものでした。自分と同年代の女子大生っぽい子も見かけます。いかにもヘッズっぽい人やマイヤンぽい人もちらほら。地元の高校生が高崎のほかのハコだとドリ代こうだった、など話しててほほえましいーーー!!!!かわいいーーーー!!!!!と齢二十歳ながらBBA精神丸出しになりました。地元の人にとって全国ツアーはオラが町にあのバンドさんがくっぞーーー!!!な意味合いがあるんですね。ほっこりします。あの箱はああだぞ、この箱はこうだぞと地域に根差したハコ文化や音楽文化がこういう風に生きてるんだなぁとしみじみしました。高校生のころからこんな音楽体験できるって、いいなぁ。

 

会場に入るとけっこう思ったより「ドンキ」率高いぞ!?とビビりました。あと若者が多い。お前も若いだろと言われそうですが精神がおじさんなんです。察してください。元々還暦超えやアラ還のテクノおにいさんやおねえさんを追いかけている人なのです。普段行くライブ会場にはアラ還をリアタイで追ってきたおにいさまやおねえさま、そしてアラ還を追いかける奇妙で素敵な若人がごった煮となっているのです。要するに「ヴィレバン」寄りで真面目な人が多い。現場及び客層の違いにカルチャーショックを受けました。開演前に友達と一緒に写真撮ってsnowで盛るとか……オラ初めてみっぞ、いろんなちほーにいろんなヒトのフレンズがおるだべなーと思いました。*1

 

馳せ参じたのは高崎club Fleezというハコなのですが、カーテンがあって開演時しゅるしゅるーって開くのが面白いなと思いました。照明やつくりがいかにも「ライブハウスらしいライブハウス」で若手バンドさんがやるのにぴったりなハコだなーと感じました(でも若手バンドのポスターに交じってcali≠gariみたいなV系のポスター交じってたのがオツだった)。あとステージ両端に液晶モニターがあって全体が見れるようになっててよく出来てるなーと感心しました。段上最前列で見てたのですが、奥の方までは見えないのでありがたかったです。

さぁ開演だ

最初に対バンのパノラマパナマタウンさん。さん付けしていいんだろうか。神戸のバンドさんで、次は下北沢シェルターでライブとのこと。気持ちがおじさんなので若いバンドさんや彼らのファンってこんな感じなんだーと見ていました。ヴォーカルのお兄さん垢抜けてるなぁ、さすが港町神戸だなぁと思っていたらMCで北九州の出身と仰っていて一瞬「え?」となりました。シャッター街の餅屋の息子さんとのこと。「餅は餅屋」と言いますがこのご時世現実に餅屋って存在するんだ……と正体不明の感動に襲われました。ギターよりもベースの方が活発な感じで珍しかったです。ギターの方がどことなく坂本慎太郎ぽくて、もし私がこのバンドさんのファンだったらギター推しだなとかぼんやり考えてました。

 

さてお待ちかねCreepy Nuts。転換が終わり暗くなると圧縮が起きてびっくりしました。いい具合に埋まってるフロアが8割ぐらいに圧縮されて前にできたスペースを呆然と見ていました。これが……人気!戸川純ちゃん様のライブ行った時以来の圧縮です。セトリはこんな感じ。(MC含めうろ覚えなので自信はありません。間違ってたらコメントください。)

 

*1:驚いたのはCreepy Nutsのライブ写真を見て結構ナードやサブカルっぽい人もいるなーと思っていたからです。高崎は年齢層低くて「ドンキ」率高かったとツイートされてた方もいたので他の現場だともう少し違うのかもしれません。

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ファンはミュージシャンに何を求めているのか

先日、某ステルスメジャーこと平沢進のFCイベントへ行って参りました。Q&Aコーナーと楽曲製作術の再現ライブの2部構成で、どちらも密度の濃い内容でした。第一部はこんな感じ。

http://privatter.net/p/2266996 (ログイン限定公開)

 

Q&Aが事前に募集されるのですが、このような意見を呟かれてる方がいて。

 

正直に申し上げると、かくいう私もお悩み相談的なQをぶつけました。ただ考えることを平沢さんに委託はしてません。この人だったらどうするのかな、と気になったのです。じゃあ聞くなよと言われそうですがまぁそれなりに悩んでるし、聞く価値があると思ったのです。

 

最初循環カフェに参加した友人から質問コーナーお悩み相談ぽくなってたと聞いた時はマジかよ~~と思いました。あくまでも平沢さんはミュージシャンだし別に万相談所じゃないんだよ?作品作るのが本業の人だよ?何求めてるん?もっと建設的な質問しよ?と思いました。ハイ。母にもこういう質問があって……と言うと「別に平沢進に聞いたって解決しないでしょ」とまでバッサリ切られました。ハイ。まぁ正論ですね。文面でのお悩み相談は難しい。質問者がどのくらい悩んでるのか、どんな背景なのかが掴みずらいなと感じました。その上ミュージシャンとファンって関係性で、どんな距離感で回答するかといった課題もあります。自分の質問が読み上げられた時、「むっちゃこれ深刻に聞こえるぞ……」と思いましたし純粋に恥ずかしかったです。じゃあ聞くなと言われそうですがだって3日前に送ったから無理だべwwって思ってたんだもん!と子どもじみた言い訳させてください。

 

Creepy Nutsもお悩み相談をしてるミュージシャンなのですが、

人生の先輩としてではなく、地元のツレや後輩、もしくはそれ以下の目線から、主に無責任に、時に親身に、一緒に悩みながら解決します。

人生経験が乏しい上に、人間として欠落した部分が非常に多く必ずしもお悩みを解決に導けるとは限りません。
あくまで“ 悩む” 相談室です。」

 Creepy Nutsの”悩む”相談室 第14回

と最初から距離感を規定してるんです。しかもへり下った態度を取り「あくまでも“悩む”相談室」にしてる。卑近さが武器のアーティストイメージにぴったりなんです。答えが出るとそれが「教典」になることもあるけどあくまで「"たりない"ふたりが共に悩む/"たりない"ふたりが答えをだす」。アーティストの教祖感が薄い(それこそ「教祖誕生」という曲を出すようなユニットですけどね)。あと2人組なので意見の相違があると直線的でなく複合的な距離感になる。すごく上手いな~と改めて感心しました。そもそもトークバラエティ要素が強いのであんまシリアスじゃない。

 

それこそ「カリスマ」的なキャラで教祖っぽさも否めない平沢さんがどう質問を返してくのか。どんな距離感で返してくのか。絶妙でした。循環カフェ行って平沢さんのファンあしらいのうまさ、距離感の妙に舌を巻きました。まぁ長年やって出来るようになったからこういう企画やったのだとも思いますが。ファンの問いに真摯に答えつつ「分かりやすい男じゃない、回れ右」のような毒舌的ヒラサワみ、「奏でる用務員」のようなヒラサワ的へり下りを用いた上で励ましの言葉を与えていました。ヒラサワ的語彙でユーモアとウィット、圧倒的ヒラサワ感を出しつつ絶妙な距離感を取っていました。近年、ゲストで呼ばれたりファンとの交流を図ったり丸くなった平沢さんですが、ヒラサワとしてのアーティストイメージも(ネタにされつつも)崩さないのは流石だなと思います。LIBROの音信じゃないけど裏切らない裏切りで楽しませてくれる。

 

それでは(私含め)なぜファンはミュージシャンにお悩み相談しちゃうのか。お悩み相談すんなよ派の言い分としては「ミュージシャンはあくまでも作品作る人」だから生き方の指針まで求めるのはお門違いってことだと思います。あくまでも作品が好きで、ミュージシャンそのものが好きってわけじゃない。それも一つのファンの在り方だと思います。多分こういう人の方が多いんじゃないかな。お悩み相談しちゃう人だってもちろんいい作品を求めてます。でも作品だけでなく、ミュージシャンにカッコいい価値観を求めてる。ミュージシャンの生きざまとか人格にも惹かれてるんです。作品だけでなくそれを生み出す考え方に惹かれたファンは「この人だったらどう考えるんだろう?」と思い悩みをぶつけるんです。彼・彼女らは作品だけでなくミュージシャンそのものの価値観を享受している。彼・彼女らにとってミュージシャンはただの「作品を作る人」でなく生きることにおいての羅針盤なのです。


長々と書きましたが6代目美子ちゃんこと服部昇大先生のツイートにつきます。

 

前後の文脈が不明なので断言はできませんが、平沢さんもこれに近いことを言ってるのかなと思います。

 

政治家や学者がカッコいい価値観を提示できなくなりつつある今、音楽というエンタメが一番カッコいい価値観を提示しやすいのかなと思います。

 

ミュージシャンが提示する価値観も大きな”ウリ”になりつつあるのがここ最近の傾向なのかなと思います。ベテランバンドの再ヒットにも同じことが言えると指摘している記事もありました。

 

その人自身の歩んできた生き様や人間性と不可分のパフォーマンスを披露している。ベテランのバンドにしか出せない迫力を持っています。また、そういったバンドのファンは、彼らの音楽性だけではなく、人間性にも魅せられているため、流行り廃りとは関係なく追い続けるのではないでしょうか

“絶頂期”を迎えるベテランバンドが増加中 エレカシ、怒髪天、人間椅子らが今輝く背景とは | Real Sound|リアルサウンド

 

音楽は時にお薬であったり羅針盤であるのかなと思います。特に弱者にとっては。弱者にとって音楽(家)は生きることへのかすがいで同志なのです。そういう風に生身の人間を「消費」していいのかなと時に苦悩しつつも今日も再生ボタンを押し地獄より地獄的な浮き世をサバイブしていくのでした。

平井堅はもしかしたらドラえもんを共依存の話として見てるのかもしれないと思った話

ミュージックステーション。見ましたか。いやぁよかったですねえ。何がよかったってそりゃオザケンです。ワイプでも往年のすべてを見下したような表情を全く崩さない王子様。最高ですね。新曲も最高ですね。微妙に見切れてるよくわからないダンサーは何なんだと思ったらパーカッション担当なんですね。Hey-say-Jump!あたりをお目当てに見に来た女の子たちは誰だこのおじさんと思ったんでしょうけどオザケンオザケンなのです。相変わらずオザケンすぎて最高でした。オザケンの前にオザケンなし、オザケンの後にオザケンなしと歌われたオザケンぷりでした。VTRに出てきたブギーバックを歌うYONCEをふふんと笑う様子はまさにシティポップ界のラスボスとしてふさわしい姿でしたね。


さてオザケンが出た瞬間twitterのトレンドはオザケンになりこの文章もゲシュタルト崩壊するほどオザケンを連呼しています。そんなオザケンは人間だけでなくネコ型ロボットにまで見下した表情を崩しませんでした。最高ですね。タモリさんに言及することを忘れた哀れなネコ型ロボット、その名はドラえもんです。テレビ朝日を背負うネコ型ロボット。スタジオにいたのはペッパー君のごとく聡明なネコ型ロボットでなく水田わさびさんの声を当てられた哀れな着ぐるみだからタモリさんに触れるのを忘れてしまったのでしょう。そんなドラえもんがなぜMステにいたのか。番宣です。正確には映画の宣伝ですが。テレビ朝日非実在ネコ型ロボットの映画で何億円をも稼ぎそれに社運をかけているのです。そのためタモリさんに言及することを忘れてもMステの場にいることが許されたのです。なんて恐ろしいネコ型ロボットなのでしょうか……。

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さて、そんなタイアップ枠で登場したのが平井堅です。ドラえもんの映画主題歌を担当されるとのこと。ネオ作務衣と言わんばかりの服装を身をまとい、ピアノと織田信成さん、浅田舞さんのダンスを添えてしっとりとしたバラード「僕の心をつくってよ」を披露されました。


youtu.be

「僕の心をつくってよ」のMV。これもこれで衝撃作なのですがMステのパフォーマンス準拠で語ります。


「僕の心をつくってよ」、タイトルからして印象に残るパンチラインですしメロディも内容も「ファミリーで見に行って感動して泣ける」近年のドラえもん映画にぴったりな素晴らしい曲です。クライアントのニーズに合わせたといった意味でも文句なしですし、ドラえもん抜きでも純粋にいい曲です。Mステのパフォーマンスもさすがとしか言いようがありませんでした。しかし歌詞を見ながら、この曲実は半端ない「闇」を抱えているのではないか……と邪推してしまいました。「闇」なんて陳腐な言葉あまり使いたくはないのですが、この曲をただの「家族で安心して見れる感動アニメの主題歌」として聞いていいのかと。平井堅はもしかしたら万人受けする感動の裏に、スパイスを効かせているのではないかと思ったのです。


さて問題の「僕の心をつくってよ」のサビです。

ねぇ 君のずるさを晒してよ
ねぇ 僕のダメさを叱ってよ
これからも この先も 僕の心を作ってよ


これはのび太視点の詩になってますね。ドラえもんのび太の関係性がよく表されてる。最後に歌詞のタイトルを入れ効果的なフックを形成しています。サビは以下のように続きます。

ねぇ 君が笑うと弾むんだ
ねぇ 君が泣いたら痛いんだ
君だけが 君だけが 僕の心を作るんだ


これはドラえもん視点の詩になってますね。のび太とともに泣き、笑うドラえもんが描写されてます。「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」を超え悲しみをも自分のものとして受け止める関係性が描写されています。のび太視点の「僕の心を作ってよ」はドラえもんを導き手として見ているジュブナイル要素を持った言葉です。対してドラえもん視点の「僕の心を作ってよ」は、量産型ネコ型ロボット(不良品)だけど君との日常で思い出を重ねていきたい、唯一無二の存在になりたいといったSFロマン的な要素を持った言葉になっている。素晴らしいダブルミーニングです。


しかしこの曲を聞いて「不穏だ……」と感じたのはこの「僕の心を作ってよ」というパンチラインの重さです。とくにドラパートの「君だけが 僕の心を作るんだ」です。確かにドラえもんのび太ドラえもんの関係性を軸にした物語だからのび太「だけ」がドラの心を作る、でいいのかもしれません。この曲は「君」と「僕」の強固な絆が描かれドラを超えて素晴らしい曲なのですが、AメロBメロの歌詞も含めて読むとすごく不穏に聞こえる。具体的にどう聞こえるのかというと、共依存に聞こえるのです。


Aメロでは「君」との出会いで「僕」がアイデンティティを獲得する様子が描写されています。他の人といても「僕」じゃない気がする僕。そんなの「僕」を「君」だけは見つけてくれたのです。この時点で第三者はシャットアウトされ、濃密な「君」と「僕」の世界が確立されます。

そして次のBメロで

傷つく一緒と 傷つかないひとり
君となら 傷ついてもいいかな


と続きます。感受性を殺し孤高の人として生きるよりも君とともに傷つき思い出を作って生きていきたいということでしょうか。傷つくのはつらいけど、君と一緒に生きるのなら傷つくこともできるといった風にもとれます。君と一緒なら、人間性を手に入れ社会に参画できるとも取れます。


ここでMステでは浅田さんと織田さんが背中合わせで立ち上がっていました。私はこの振付に鳥肌が立ちました。一人だと体育座りしてしまうけど、二人だと立ち上がれる。ポンコツとポンコツでも二人支えあえば立ち上がれる。人という字は云々じゃありませんけど。感動的です。ただ、裏を返せば「君」がいないと一人で、「君」がいないと傷つくこともできないのです。ちなみにこの背中合わせのメタファーは大サビのこのフレーズへつながって行きます。


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ねぇ 君の弱さを晒してよ
ねぇ 僕の強さを信じてよ
これからも この先も 僕の心を作ってよ


のび太が孤高の機械になりそうなドラに対し「僕の強さを信じて」と語りかけているのです。のび太の成長が描かれます。そして「僕」の心を作るのを懇願している。いくらお約束とはいえネタバレしてる感満載ですね。


最初は導き手と弟子であったのび太とドラの関係性が対等な友人になり、ついに逆転する。しかし二人とも相手に「僕の心を作ってほしい」のです。ドラはのび太の存在によって自らの立ち位置や「心」を獲得している。この曲のドラはのび太(との関係性・思い出)抜きでは社会性のないただのネコ型ロボットとなってしまうのです。一方のび太は自分を見つけてくれる、アイデンティティを教えてくれるのはドラしかいないと思っているのです。互いの存在が互いのアイデンティティ確立に不可欠なのです。これを共依存と呼ばずして何と呼ぶ。


そんな深ーいテーマを国民的アニメの主題歌としてお茶の間に流す平井堅は流石だなーと思いました。これは友情の歌ともとれるしラブソングとしても聞ける。ドラを超えたニーズを掴まえられる。そんな歌にこんなテーマを込めるなんて。正直、舌を巻きました。国民的アニメをこんな風に解釈しスポンサー枠でMステで出演。この日のMステで一番ロックだったのはもしかして平井堅だったのかもしれません。


正直、詩の解釈というのは正解がないので何とも言えませんが。あくまでも個人の解釈なので平井堅はそんなこと思っていないかもしれません。ただ詩って人によって取り方が幾様にも変わる。だから楽しいんですけどね。と逃げたところでお開きにしようと思います。


ヒライけんさんのCDはこちら。正直言ってジャケのヒライさんが寺田創一さんにしか見えない。


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ドンキにもヴィレバンにもなじめなかった私 (後篇)

小中高を語った前篇はこちら。


grjti.hatenablog.com


人付き合いが下手くそでどのグループにもなじめず「#真面目」みたいな記号もまとえなかった小生。「#変人」という枠になり現実でもtwitterでも稀勢の里大好き芸人として活動し、オンラインでは80年代サブカルクソ女としても活動。2足のわらじを履き行ったり来たりで好き勝手やっていました。中高一貫女子校のゆるさに助けられ、なんとか居場所を作り6年間やりすごすことができました。そして卒業後、決意するのです。



「普通の人になろう」



「普通の人になる」、それが私にとっての大学デビューでした。まず自分を「変人」と思ってる時点で自意識過剰も甚だしいのですが。しかし私がどこのグループにも馴染まなかったのは事実でした。相撲好き芸人な私を皆「変人」と呼びました。私の周りにも「変人」と呼ばれるような人間が集まりました。


生存のため、人に喜んでもらうため過剰なほど自己を誇張するところがありました。人に笑ってもらえる、喜んでもらえる、そこに自分の存在価値を見いだしたのです。ふぁぼられリツイされて承認要求が満たされました。おもしろいね、と言われることが最大の褒め言葉でした。冗談や誇張して言ったことも徐々に本当になっていくのが言葉の恐ろしい所です。自分のセンスに関しては半端ない自信と矜持を持ってました。ファッションセンスはないけど笑いと音楽、文章のセンスは誰にも負けんと。


要するに、道化だったのです。人を見下す高いプライド、そんな人に認められたくて存在理由を、居場所を与えてほしい。ひん曲がった承認要求の塊でした。


私は自分が変人の中では常人寄りだと思ってました。変人、ではあるけど女子の間の不文律は破ってないと思ってました。変人でありながら、変人と常人の仲介役となることによって自分の存在価値を得よう、プロップスを得ようとしたのです。仲介役と書くと聞こえはいいですが、自ら貧乏くじを引くことでした。バロテッリを叱り、新入生長友をお姫さま抱っこし、ジダンに頭突きされる、マテラッツィに憧れたのです。しかし仲介役を(別に誰にも言われてないのに)買って出た結果どうなったのか。疲れてしまったのです。女子の不文律を破る変人の後始末をなぜ私だけがしなきゃいけないのかと泣き叫ぶこともありました。常人の記号がまとえないからだし、自分で選んだのに。尊い犠牲が出来るほど、私は聖人ではなかった。いい子でも、計算高くもない女の子だった。

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もうこんな思いこりごりや。普通の人のふりして、普通の子たちとつるんで、こんな貧乏くじ二度と引かないようにしよう。いわゆる大学デビューです。まぁゆるいサブカルちゃんめざして擬装のため椎名林檎を聞いてみたりしました(今思えばチョイスがおかしい気もしなくはない)。


入学前、「#春から〇大」や学科名で検索し未来の同級生や先輩をリサーチしました。同級生たちはまるで判でおされたような毒にも薬にもならないようなクソつまらないことばかりつぶやき来るべき日のため顔の見えぬおともだちとおしゃべりしていました。生存レースは入学前から始まっていたのです。どうせ今つるんでる奴とも実際に会ったら続かないで黒歴史になるだろと斜に構え見ていたのですが、入学前からライングループが作られ入学式の後にご飯食べよー!なんて計画がなされていました。どんな人間かも分からないし、しかもこの先4年間を共にする人間となぜ即twitterで話せて飯も食えるのか。生存のためなのかそれとも単に楽しくてやっているのか。そもそもインターネットに触れた時よく見ていたのが2chだったため(文字どおり半年ROMったほどバカまじめでした)、インターネットに本名や写真を晒す感覚もヒヨンドマイ理解力でした。リア垢を作る気もなく「一般的な大学生(予備軍)」にカルチャーショックを受けつつ入学式の日を迎えました。

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ドンキにもヴィレバンにもなじめなかった私 (前篇)

Creepy Nutsの「助演男優賞」を買いました。トータル20分ちょっとで1600円くらいなのですがいいアルバムです。

助演男優賞

助演男優賞


私は発売日に新宿タワレコで買いました。彼らのインストがありその空気に乗せられてしまったのです。いくらR-指定がダンジョンに出てる売れっ子でも平日やしそんな人来ないやろ、とたかをくくっていたらまさかの満員大入り。300人規模のライブハウスかここはと思いました。


結局インスト時にはDJ松永の方を見て楽しそうなR-指定を人の頭越しに楽しそうやなぁ……と眺めていました。今までマイナー(志向のステルス・メジャー)なミュージシャンのみ追いかけていた私は店で推しの曲がガンガン流れるという状況に呑まれてしまい、ほとんど見れなかったしここまで来たら見てやるかとサイン会付きのCDを買ってしまったのでした。まんまとはめられてしまいました。結局長蛇の列に並ぶのに疲れ、お二人を冷やかすことなく家路についたのでしたが。


罠にはめられしかも甘い汁もすすらず時給1.5h分の散財をしちまったよと忸怩たる思いでCDを数日放置していたのですが、意を決して聞きました。
いいアルバムです。そのなかで白眉だと個人的に思ったのは2曲目の「どっち」。コアなファンは「未来予想図」とかを推すのでしょうが私はそれこそ冷やかし半分のにわかミーハーなのでこの曲を推させていただきます。と、卑屈根性を出したところで気持ち悪いオタク語りをしようと思います。


www.youtube.com
公式のトレイラー動画。「どっち」は0:20~、1:20~聞けます。

ドン・キホーテにも ヴィレッジヴァンガートにも
俺たちの居場所は無かった… 
だけどそれで良かった


「どっち」はそんなフレーズから始まります。この曲に関しては作者二人がよく語ってるので記事読んだ方が早いです。

Creepy Nuts、“どっちでもない”からできること「ドンキの人ともヴィレバンの人とも、ラップや音楽で戦える」 | Real Sound|リアルサウンド


歌詞は体育会系カーストの極地ドンキと文化系カーストの帝王ヴィレバンを例に出し、ヤンキー・サブカルどちらも皮肉るといった内容。文化系は体育会系をdisるけどあんたらやってること同じじゃありません?といったR-指定のサブカル叩きがDJ松永のヴィレバン受けしそうなトラックの上で炸裂する曲です。ドンキもサブカルもダンジョン見てます!の後にくる展開が激熱激エモなのですが買って聞いてください。私も騙されて買ったんだから。まぁそんな曲を聴いてふと自分の人生を思い出したりしたのです。といっても20年しか生きてませんが。


ドンキにもヴィレバンにもなじめず、居場所にもがいてた頃の自分を。

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