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向こう側からくることば

やらなきゃいけないことを色々放棄してこの文章を書いている。やらなきゃいけないことをやればいいのにこんな時間なら眠ればいいのにスマホに向かって風呂上がりのからだとしかめっ面してこの文章を打ち付けているのはことばが呼んでるからだ。随分メルヘンで痛々しくて哲学ぶってる表現なのは百も承知であるがパトスだけで生きている衝動的人生を過ごしてきた習性なのだ仕方がない。もう少し泥臭いことばに直すならことばを書きたくて仕方がないから、であろうか。これでもまだカッコつけている。もっとダサく恥部開帳するとしたら(私は私小説のことを恥のストリップだと思っている、どれだけ心の○○コを晒せるかが勝負である業界だと感じている)、独り言を言って一人で安心したいからだ。こんなことしても何も根本的解決には至らないが誰かに自分の悩みを聞いてもらってスッキリしたい、ただそれだけである。自慰行為を人様に見せつけているのと大して変わらない。しかもかわいらしいAV女優ならまだしもどこのマニアものでも需要があるのかわからないようなとるにたらない人間の面白みもクソもない自慰行為である。ただの心の露出狂である。


人はなぜ気を病むとことばに呼ばれるのか。とある小説家が元気な時には言葉は響かないと言っていた。一理ある。とても一理ある。わかり徹夜がならび「わかる」を同期するレベルで一理ある。病んでる時こそ心の中の闇が渦を巻く。昔のことやいやなことやコンプレックス、ありとあらゆることへの評価がこれでいいのか、自分の生き方はこれでいいのか、そもそも悩み方がこれでいいのか、こんなことをするよりもっとまともなことがあるのになぜしないのか。心の渦は竜巻となりありとあらゆることばを吸い尽くす。ひとつの怪物となったそれは私の心を荒らしまわる。思考は言葉だし神様すら言葉ってヨハネが言ってた。ヨハネ会ったことないけど。心の竜巻をほぐしひとつの線に、ただの言葉に、ただの私に分解するためこのようにして文章を打つ。そして残骸をホルマリン漬けしてストリップとして晒すわけである。

ここまで書いてある程度は落ち着いてきた。ただの自己満足なのでここで終わりたいと思う、と書いて終われなさそうな自分がいる。書く前はもっともっと何か書きたいことがあったはずなのに、もうそれはいつの間にか消えている。早くも賢者タイムである。つまらない露出狂のくせして闇の性欲も薄い。露出狂すら失格である。しかし人を心のストリップに走らせる感情は、怪物の一番怪物たるところではないのか。竜巻の竜巻たるところではないのか。ことばをほぐして分解して、幻が消えたとき、ことばはもうぼくを呼ばない。メンヘラは消えてただの人間だけを残していく。あれも書けなかった、これも書けなかった。その感情だけが我々を心の水商売へ呼び込むキャッチなのではないか。そして今日も病んでは書き賢者モードになってはまた病んで……と心の春をひさいでいるのである。

今日はここまで。