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呼び起こす会話 音楽やアート

さようなら、稀勢の里寛さん

 友人が働いているバイト先のトイレには、社長のお言葉が貼られているという。社員への心がけだけでなく、「社長のひとこと」なるものがあるらしく、稀勢の里にも物申していたようだ。曰く稀勢の里は休んでばかりで情けない……といった内容。それを聞き私は激昂した。「お前に稀勢の里の何が分かるんだよ!!!!!」と顔も合わせたこともない友人のバイト先の社長に対してブチ切れた。「お前に稀勢の里の何が分かるんだよ……俺も分からねぇよ……」

 

 

 稀勢の里横綱に昇進してから、私は世間の熱気と自らの間の溝を見つめ続けてきた。「日本出身横綱誕生」「感動をありがとう」といった言葉を冷え冷えとした気持ちで見ていた。稀勢の里を誉めそやす言説にも冷笑的になり、周りから「おめでとう」と言われても曖昧な笑顔で誤魔化すしかなかった。

 

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 横綱になってからの稀勢の里は、怪我に苦しみ、出場と途中休場を繰り返した。せっかく番付が落ちない立場にいるんだから思い切って休み、完全回復してから土俵に上がればいいのにとモヤモヤした。「土俵で受けた傷は土俵で治せ」といった言葉が相撲界にはあるようだが、私は首肯できない。ヨカタには分からない感覚があるのだろうが、稀勢の里に関しては中途半端な出場と休場のループが彼の「選手生命」を縮めたように思えてならないのだ。

 

 場所前の「いい仕上がりです」と答える彼を信じられなくなったし、場所前に彼のニュースが流れるたびまた稀勢の里ばかり取り上げるんだな、と皮肉を言いたい気持ちになった。周りの力士は横綱だからと遠慮してるんじゃないかと思えた。稀勢の里横綱になってから、あまり幸せな思い出はない。相撲熱はますます冷めていき、稀勢の里が休場するとああまたか……と相撲を見る頻度も減った。

 

 彼の中では本当に「いい仕上がり」だったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。真実は彼しか分からない。観客の期待を集め、横審から物申されている状況が彼を出場に駆り立てたことは容易に予想できる。

 

 引退会見の稀勢の里は、どこか少年のような表情をしていた。思えば中学卒業後からずっと土俵にいた人だった。繕うことなく、でも自らの目指す力士像を壊さずに受け答えをしていた。怪我についての質問で、答えにつまる姿を見て、なんてまっすぐで、どうしようもなくて、いじらしい人なんだと感じた。冒頭はあんなに淀むことなくすらすらと話していたのに。言えることと言えないこと、感情の整理がついていないところがあるのだろうか。言ってしまったら、目指す力士像から離れてしまうから言えなかったのだろうか。逆説的に彼の人間性がありありと浮かび出て、胸に突き刺さった。

 

 理想になりたいけどなりきれない、でも理想のお相撲さん像を壊したくない、目指していく彼の懸命さが愛おしくてたまらなかった。稀勢の里は、そんな力士だった。そうしていつも私たちを魅了して、呆れさせて、でもやっぱりいじらしくて愛おしくて見捨てることなんてできない、魔性の男だった。

 

 オフの稀勢の里は意外と(?)ひょうきんな人らしい。でも彼はそんな姿をめったに表には見せなかった。「理想のお相撲さん像」を全うすることに命を懸けていた。それがお相撲さんの果たすべき責務だと思っていたのだろう。とても偶像力の高い力士だった。でも偶像になり切れなくて、風呂桶に当たったり、変なとこで負けたりした。それでも彼は偶像を目指した。そして横綱としても。

 

 「黙って男の背中を魅せる」彼の姿勢を昭和の男、古き良き日本人の美徳、粋だとメディアは喧伝した。「男は黙って―」を是とするセンスを稀勢の里が持ってたのは事実だろう。中卒叩き上げの経歴もそのイメージを強化した。先代師匠隆の里も「おしん横綱」と呼ばれた力士だ。しかし稀勢の里はお父様の熱心な指導で素質が磨かれた「(スポーツ)教育パパ」の賜物であるし*1隆の里角界で初めてウェイトトレーニングを導入するなど「純日本的」イメージから離れた面もある。ただ研究熱心で稽古方法を改善させていった隆の里も、自らのメソッドに固執し柔軟性を欠いていった点は否めないが。

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 稀勢の里の引退会見に話を戻す。会見で何よりも際立っていたのは周りの人への感謝だ。そしてファンの期待に沿えず申し訳なかったという言葉。ああ私たち*2は愛されていたのだと思った。リップサービスかもしれないが、この人に少なくとも思われていた。嬉しさと同時にやるせなさが襲った。「一片の悔いなし」も北斗の拳の版権元がタニマチであった*3ことを意識しての発言だろうし*4、モンゴル出身の力士についてどう思いますか?といった質問にも朝青龍関らのおかげで強くなれた、と答えている。大声援を受けたことも、幸せなことだったと答えている。どこまで周りへの感謝を言うのだろうか。もっと好きなようにキャリアを全うしてほしかった。周りがいつもいい影響を与えてくれたばかりじゃないだろうに。時に過剰な期待は重圧となっただろうに。それでも弱音の一つもこぼさなかった。なんて偶像力が高くて、いじらしい、どうしようもない人なんだろう。感謝なんかしなくてよかった。私が言えた義理ではないが、ファンのことなんか気にしないでワガママに生きてほしかった。最後まで彼の美学に、偶像と現実のはざまに、振り回されてしまった。本当ににくくていとしい。

 

 稀勢の里の現役生活は、周りに振り回されたように思えてならない。先代師匠の急死、年寄名跡をめぐる騒動。旧鳴戸部屋に別れを告げ、田子の浦部屋での再出発。コロコロ変わる横審の基準、「和製横綱*5」への期待。加熱する報道。横審のお小言。ここまで時に褒めそやされ、時に厳しい状況にあると報道され、そして散り際を報道される力士がいるだろうか。メディアや横審の言説が彼の周りに空気を作った風に思えてならない。その空気が、出場しなくてはという責任感を生んだのだろう。それでも横綱として求められるものからは程遠く、別の責任感から休場を決断したのかもしれない。そうして怪我を治しきれない悪循環に嵌っていったと推測する。

 

 稀勢の里に感動物語を求める人々が嫌だった。稀勢の里で感動したいから応援する人が嫌だった。稀勢の里の応援で日本人力士、やはり日本最高となる安直なナショナリズムになびく人が嫌だった。てめえの感動ポルノのオカズじゃねぇんだよ馬鹿野郎と思った。同時に、稀勢の里カタルシスを得たがっていたかつての私も同類なのだろうと感じた。私は結局、望み通りの物語に行かなかったから愕然としている所もあるのだろう。稀勢の里はいつも予想を裏切ってきた。裏切られるたび、稀勢の里に私が予測する物語を歩んでほしかったのだな、と思い知らされた。私だけじゃない。いろんな人に物語を託される力士だった。ファンにも、協会の親方にも、記者にも、力士にも。

 

 巡業で写真を撮るとき、いつも稀勢の里だけブレた。ほかの力士はいい写真が撮れるのに、稀勢の里だけ最後までブレて、いい写真が撮れなかった。横綱になってからは、たくさんの人がつめかけ、容易に近づけなくなっていた。それでも以前と比べるとサインを書くようになっていたが。

 

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 それでも稀勢の里を応援して、テレビの前で号泣したり、天にも昇る気持ちになったり、twitterで自虐する日々は最高に楽しかったと断言できる。成績が落ちる、家族と喧嘩する等々たくさんの副作用もあったが、稀勢の里の応援で味わうあの興奮はもう二度と経験できない気がする。カメラロールを見て、もう稀勢の里がこんなふうに土俵に上がる日は無いのだと思うと変な気持ちになる。喪失感はきっと後から来るのだろう。

 

 稀勢の里は私の青春だった。(大相撲の)オタクと会う喜びも教えてくれた。稀勢の里を勝手に青春にし、オタ活はじめのきっかけして誉めそやすのは稀勢の里に申し訳ない気がする。多分稀勢の里もそんなことで褒められたくないと思う。でも稀勢の里のおかげなのだ。稀勢の里の存在が、私の人生に彩りを与えてくれたのだ。

 

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稀勢の里を応援する高揚感(※画像はイメージです

 

 

 

 

 

さようなら稀勢の里寛関。こんにちは荒磯親方。幸せにね萩原寛さん。
ファンの端くれとして、あなたの幸せを願う身勝手をお許しください。
愛してます。

 

 

 

 

 

 

*1:この「(スポーツ)教育パパ」により磨かれたエリート力士の最先端に貴景勝を挙げることができる。これからこのタイプの力士がじゃんじゃん増えると見ている。

*2:冷え冷えとした目で見ていた私はファンと言えないかもしれないが。

*3:稀勢の里の化粧まわしはラオウだった。

*4:実際に稀勢の里が北斗ファンなのかもしれないが。

*5:なんてグロテスクな言葉なのだろう!人間にmade in Japanもクソもないのに。

神話と現実のあいだ――「ボヘミアン・ラプソディ」感想

 ボヘミアン・ラプソディを見た。ドルビーアトモスで見た。まるでライブハウスにいるような音響だった。

 

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 フレディ・マーキュリー及びQueenについては多くのことは知らなかった。TVで流れる有名な曲、チョビ髭タンクトップ、晩年男性のパートナーと錦鯉を飼っていたこと。そんな私にとって彼の「生涯」と曲のバックグラウンドを知ることは新鮮だった。見ていて飽きなかったし、ライブシーンは鳥肌が立った。途中までフレディが鎮座ドープネスに見えたけど。


 見終わった後のツイートでは、フレディと叫んでばかりだった。庄司がミキティーと叫ぶがごとくフレディーとしか叫んでいなかった。フレディを抱きしめたいなど間抜けなことを言っていた。けれども時間がたつにつれ、この思いに罪悪感も覚えた。

 

  「ボ・ラプ」は伝記映画として紹介されている。が、なにかの記事で「これはフレディの精神世界を描いた作品だ」という制作側のコメントを見た*1。このコメントでハンブルクバレエの「ニジンスキー」を私は思い出した。

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 振付家ジョン・ノイマイヤーは「ニジンスキー」についてこれは伝記ではなく、彼の精神的世界を描いた作品だと語っている。フレディとニジンスキーを結びつけるのは突飛な思い付きだと思ったが、そうでもなさそうだった。女装MVと名高いI want to break freeでフレディはニジンスキーの「牧神」に扮している。「牧神の午後」も官能的な内容でセンセーショナルな話題を引き起こしたが、break freeのMVも変態的だとして放映禁止になったのは皮肉な話だ。

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 ニジンスキーにはディアギレフというプロデューサーがいた。バレエ・リュスの興行師であった彼は、もともと音楽を学んでいたが裏方に回った。ディアギレフとニジンスキーは恋愛関係にあったが、ニジンスキーが公演に出てない間結婚したことで二人は破局を迎える。フレディとポールを見ながらニジンスキーとディアギレフを思い出していた。脇道にそれるが、ポールがフレディにキスするシーン、男が男に欲情する目が生々しかった。

 

 「ボ・ラプ」を見た後、フレディを「同性愛者」だの「バイセクシャル」だの言うのは気が引ける。映画作中のフレディは自らの性的嗜好、愛の形に何と名前を付けたらいいのか戸惑っていたからだ。メアリーのことを愛している、でも同性を好きになる気持ちも止められない。「バイかもしれない」と言うと「あなたゲイよ」と泣きながら言われる。ポールから「本当の自分を君は知らない、メアリーのことは忘れろ」と言われてもメアリーの愛を無碍にされるのは許せなかった。

 

 前例の少ない*2愛と性を自分に見つけたフレディは戸惑う。バンドの仲間たちは家庭を持ち、ポピュラーな愛の形に居場所を見出している。夕暮れ時を過ぎても砂場に留まる家出少年フレディはにぎやかで孤独な夜遊びに耽る。

 

 退廃しきった生活を送るフレディ。彼の孤独が作中では強調される。家族との不和、セクシャリティの戸惑い、そしてスタートしての孤独が重なっている。葛藤を乗り越えたフレディはQueenという「家族」に戻り、生家とも和解し、情緒面でもジム・ハットンと言う居場所を見つける。愛やセクシャリティ、自らの在り方に苦悩したフレディが自らの生き方、自分を見つける成長物語として完結してる。

 

 フレディを抱きしめたい、と思うのは彼の不安定さに依る。同時に罪悪感もここから来ている。私たちが知る華やかなステージの上のフレディに対し、最初出てくるのはどこかおどおどした青年ファルーク・バルサラだ。バンドが軌道に乗るにつれ、徐々にビッグマウスに我が儘になっていくがオフステージでは相変わらず不安を抱えた人間なのだ。

 

 華やかになればなるほど、彼の孤独の影は深くなる。メアリーとランプで会話をしようとしても徐々にすれ違う。彼の孤独はそんな単純なものだったのだろうかとも思う。コンプレックスを曲に昇華させるも、ステージの上の自分が一人歩きし、本当の自分を愛してくれる人はどこにもいない。


 映画のライブシーンを見ると、華やかな舞台、そして観客に訴えかけるフレディのパフォーマンスに惹かれる。この映画も実際のQueenのパフォーマンスも華やかな神話だ。彼の人生をテーマを有した物語として再構築したこの映画も。

 

 ライブ・エイドのシーンを見るとこの「神話」にひれ伏したくなる気持ちが湧く。当時この物語を体感したかったという思いだ。そして過去は映画により物語れまた神話となっていく。映画に感動する私は、フレディの神話に胸を打たれいている。このことにどうしようもない申し訳なさを覚える。


 現実・史実とフィクションの差をとやかく言うのは本論からそれるので触れない。ただ作中のフレディはステージ上の華やかな自分とステージを降りた自分との差に苦悩しているように見受けられた。そんな彼の「神話」を愛することに一抹の罪悪感を覚える。


 苦悩を音楽にかえるのは彼にとっての天職だったのだろう。ピアノの前で自らを痛めつけるような退廃した生活を送るフレディを見るのは辛かった。誰かにとっての救世主ではあるだろう、けれども自らのことは救えない。奇矯な衣装・動きはカルトな人気を誇りセックス・シンボルであったろうけど自らの性と愛のあり方に苦悩した。彼の苦悩は常人である私には計り識ることはできないが、誰も彼もが彼について語るほど神格化されてしまったことに端を発するのではないか――そしてその片棒を担いでいるような気にもなるのだ。


 彼を自分らしく生きることのシンボルとして、あるいはセックスシンボルとして、ロックスターとして語ることもどこか気が引ける。しかし彼の魅力は自らをシンボルにしてしまう――神話を演じてしまうところにあるのだ。その役割を喜んで引き受けたであろうし、そのことで苦しくなったのかもしれない。


 多面的で時にいびつで美しい彼は、様々な衣装や音楽の中で神話を演じきった。どんな言葉を尽くしても、彼の外殻しか掴めないような気がして、野暮に思える。


 ニジンスキーは不倫と言う形で妻の裏切りにも遭い、最後は精神を病む見舞いに訪れたダンサーが彼の踊りを踊ると、記憶がよみがえったのか跳んだという。「ニジンスキー最後の跳躍」と呼ばれるその写真を展覧会で見たが、えも言えぬ思いに駆られた。自らを切るような営みであったろうが、最後まで創作に向き合えたフレディは幸運だったのかもしれない。

*1:元ソースが見当たらないため思い違いかもしれない、ブライアン・メイが「これはアート作品だ」と語っている記事は見た

*2:情報源が今ほどない時代なら、ほぼ無いに等しい