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「おっさんずラブ」への違和感 BLに何を求めるのか

 おっさんずラブを批評するエントリです。あくまでも個人の感想です。ただ作品やCPを好きでいたいと思う方は、読まないほうが幸せだと思うのでブラウザ閉じて忘れてください。しょせんただの一個人がぐだまいてるだけなので。本文でも触れてますが、ほとんど本編を見ていないので所々間違いや誤解はあるかもしれません。また、拙文でニュアンス等誤解を招くかもしれません。その際はご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

 

 

もくじ 

 おっさんずラブジェンダーものドラマ


 深夜、ぼんやり女子向け美容番組を見ていたら、衝撃的なタイトルとCMが目に入ってきた。「なんだこれはwwwww」と深夜テンションの混乱から爆笑した。CMが終わり、キャンメイクのモデルをやっているタレントが微笑んでいた。「週末のデートにはゆるふわヘアでイメチェン♡」なる世界観にぶち込まれた核弾頭、それがおっさんずラブだった。 

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 ちなみにこんな世界観

 

  一話を後半だけ見たのだが、テレ朝の深夜帯コメディやな~~といった印象だった。主人公・春田のダメダメっぷりとか、春田に惚れる上司武蔵のいかにも頼りになるベテラン部長ぷりとか。リアリティには欠ける職場描写もまぁ「只野仁」や「未来講師めぐる」みたいなもんだもんな~と適当に流していた。巨根壁ドンまで見て、視聴しなくてもいっか……と思った。


 「ヤバい番組を見つけてしまった」とぼやいたときは全然TLで話題になっていなかったのに、回は進む度どんどんおっさんずラブ旋風が大きくなっていった。七話を後半だけ見たのだが、やはりちょっと私のニーズとは違うなと思った*1

 

 母親に「あんた何見てるの」といわれ「なんか今一番流行ってる、おっさんずラブ」と答えた。あらすじを問われ、答えると武蔵の盗撮バレ時点で「犯罪やん……」と言われた。で、主人公はゲイなの?バイなの?など尋ねられた。公式HPを見ながら答えたが、この作品に「ゲイ」or「バイ」という言葉は適切なのだろうかと思った。母(還暦) *2 のような、BLと実際のゲイ等のニュアンスの違いが掴めていない人間は、混用するのだろうが。ただこの母の問いは、素朴ながら核心をついているなぁと思った。

  

 母は最後に最近ジェンダーとかそういうドラマ多いよねと呟いた。「隣の家族は青く見える」もゲイカップルが出てきた。「女子的生活」はトランスジェンダー。そしてNHKBSの「弟の夫」。ゲイカップルが脇役で4シーズンからほぼ毎シーズン出てくる*3デスパレートな妻たちがBSで放送されている時(2005-2013年)には全くこういうドラマはなかった*4。 

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デス妻のふたり。シリアスな書き方したけどコメディパート多めでおもろい。


 多様性のある社会。他者を理解し、寛容であること。理想の社会と現実にはギャップがあるから、ドラマは啓蒙の意味も込めて「あったらいいな」を描く。LGBTQの現実はこうなのだと。ステレオタイプではなく、悩んだり、喜んだりするのだと。

 


 おっさんずラブは、先にあげたジェンダーもののドラマの系譜には置けない作品だと思う。確かに公式サイトで武蔵も牧も「ゲイ」と書かれているけど、あくまでもキャラクター属性・恋愛対象が男であることを示す言葉といった印象を受ける。リアルな「ゲイ」ではない。むしろ、男三人で三角関係を成り立たせるエクスキューズとしての設定だ。舞台装置としての言葉だ。


 だから武蔵の行為は、まっさらな目で見ると犯罪でありキモい。同性愛がキモいのではない。好きな人を盗撮する・公私混同で愛を迫る *5 のがキモいのだ。そんなストーリーも、武蔵の「仕事できる頼れる上司なのに、ダメダメ君に恋をする盲目な乙女に大変身☆」なギャップ萌え設定のもとでは許されるのだ。


 おっさんずラブは、設定や属性を成りたたせるために、ジェンダーものドラマが丁寧に扱ってきたテーマを重機で爆走していった。だからこれは決して「ジェンダーもの」ドラマではない。製作者サイドは月9をイメージして作ったと語っている。あくまでも月9のパロディをするテレ朝の深夜ドラマなのだ。だからポリコレ的観点は抜け落ちている。

mantan-web.jp


 事実、ドラマを見て深夜のテレ朝ラブコメとして面白いな~と笑っている自分と、2018年にこの脚本はどうなの……と思う自分がいた。そしてこの作品はヒットしていった。

 

おっさんずラブとBL

 

  おっさんずラブはどんな層にウケたのか。もちろん腐女子だ。公式がpixivでイラストコンテストを行うなど徹底している。インスタも話題になった *6 。TLを見てると、主婦の方や、今までBLに興味がなかった層も取り込んでいるように思える。冒頭の「週末のデートにはゆるふわヘアでイメチェン♡」なる核弾頭到着現場を思い出してほしい。テレ朝の思惑通りだろう。

 

 おっさんずラブはステレオタイプ観の上で、普遍性のある月9胸キュンストーリーを作り上げた。ファンタジーなのだ。BLと言っていいかもしれない。少女漫画のようなストーリーだから、今までBLに触れなかった層にも受け入れられた。「花のち晴れ」と根底は同じだ *7

 

 腐女子とゲイの「リアル」は常に緊張状態にあった。BLはファンタジーであり、それを現実世界のゲイに重ねるのは異国や異民族に対する偏見とそう変わらないと思う。BLとゲイの「リアル」を混同したうえで、ゲイの人を応援するのは文化中心主義とそう変わらない。恋愛関係ではないけど、同性バディもの、ブロマンスものも増えてきた。ただ、サブカルチャーで同性の関係性がフィーチャーされた作品が多くなるにつれ、ゲイ含めLGBTQの「リアル」を描いた作品が増えたのも事実だ。

 

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 ブロマンスで検索したら出てきたシャーロックさん。

 

 BLはファンタジーである。このBLという言葉の定義も難しい。界隈では新語がどんどん生まれ、そのたびに旧来の言葉のニュアンスも変わってくるからだ。BL好きな女性=腐女子の中でも、様々な腐女子がいる。好きなアニメができて、twitterやpixivのFAでコロッとハマった人もいれば、商業BLやルビー文庫だけ好きな方も、両刀遣いもいるだろう。その逆もしかりだ。ライト層が増え、コンビ萌えとの境界がつかないところもある *8

 

 腐女子は何を求めてBLを見るのか。それを鋭く突いたのは、ねほりんぱほりん腐女子回だと思う。

togetter.com

 

 腐女子が何がきっかけで腐になったか、どの程度のBLが好きなのか、どうして好きなのかはは千差万別だ。おっさんずラブは、「少女漫画の代用としてBLを読む腐女子」層にウケたのではないかなと思う。時に男性向けエロマンガの主人公はほぼモブかブサ男だったりするのと同様、なんやかんやいってスペック高い女性主人公は見ていてつらい。比較し、コンプレックスが生まれる。その時点で作り話は夢の世界ではなくなる。自らが主体として関わりたいオタク女子は夢女子や乙ゲーマーになるだろう。キュンとしたい、でも別に主体にならなくていい。三者として、神の視点で関係性を見ていたい。これはどの腐女子にも共通すると思う。第三者でいたい理由は、人それぞれと思うが。

 

 この番組を見て、私が引っ掛かった言葉がひとつある。それは

「男女間だと、最高レベルの関係性はエッチをすることだと思うんですよね。だから男同士の二人にも、最高に幸せな姿、頂点極めてほしい」

 

というものだ。

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 この言葉だけは、どうしても呑み込めなかった。そして、私が求めているものと彼女が求めているものは違うのだろうなと思った。人の趣味や思想信条は千差万別だから、それを非難する気持ちはない。性癖のようなデリケートな部分はなおさらだ。その上で私の意見を語らせてほしい。

 

 ねほぱほ腐女子回を見ていると分かるのだが、少なくともこの番組に出ている腐女子たちは、「息苦しい現実を生きるためのオアシス」としてBLを愛でている側面がある。どのような趣味に没頭していても、似たところはあると思う。現実世界で、女として生きていると、どうしても「あるべき女性像」を押しつけざられるを得ないと語っている。それは少女漫画や、先ほど挙げた「週末のデートにはゆるふわヘアでイメチェン♡」なる世界観が表しているものだろう。少女漫画を見ていてありえねーだろと思うのも、ヒロインに感情移入できないのも、現実を基にしたファンタジーだからだろう。そこには「恋はこうあるべき」「女の子はこうあるべき」という価値観が重奏低音として存在している。

 

ヒロイン失格 映画ノベライズ みらい文庫版 (集英社みらい文庫)

そういえばこういうタイトルのマンガあったね(これ映画だけど)

 

 BLは自由な想像の世界だからラク、第三者として安心して見れる。それはすごく分かるのだ。ただ、しがらみだらけの現実から逃げられる、自由な想像世界ならばどうしてそこに男女恋愛の論理をBLに持ち込むのだろうか? と思うのだ。「男女恋愛の、最高レベルの関係性はエッチをすること」という論理には、語った腐女子が、しがらみを感じていないからかもしれない。

 

 腐女子が濡れ場のあるBLを読むのも様々な理由があると思う。ただ、ファンタジーの世界なのに、愛とか、恋とか、関係性とか。そういうものを既存の男女恋愛のテンプレートで規定するだけでいいのだろうかと思うのだ。結婚しなきゃいけない、子育てしなきゃいけない、愛はそういうものでなくてはならないというのも、私はしがらみと感じるから、そう思うのだろう。

 

 

 私がおっさんずラブに覚えた違和感もそこにある。偶然見た7話も、春田が牧に別れ話を切り出された際の描写も、牧が春田にちょっと目を離すとすぐ別の人に鼻伸ばすんだから!と嫉妬してケリを入れるシーンも。今までの男女恋愛の論理なのだ。月9テンプレを男女で置き換えたからであろうが。また、「逃げ恥」はじめ男女恋愛もいま様々な形態を描いた作品があるというのに、そこに追い付いていない印象を受けたのだ。春田が、牧を引き留める際のセリフは、どう見てもぐうたら亭主関白がまめまめしい嫁さんに別れられる時の泣き言だ。ここに描かれた恋愛は、腐女子が逃避する現実のつらさを、無意識に表出させていないだろうか。

 

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牧が甲斐甲斐しい「女房役」として描かれてるように見受けられた。

 

 「恋愛をして、結婚をしなくてはいけない」「夫婦やカップルは、こういうものでなくてはいけない」。現実世界のLGBTQも、自分たちも異性愛者のような権利が欲しいと思うことがあるのだろう。ただ慣習が法整備され、「権利」として見えることもあれば「しがらみ」として見えることもある。そして慣習や「べき論」は時に一部の人の首を緩やかに絞めていく。それは悪気のない親や近所のおばちゃんの言葉だったり、感覚がアップデートされてない政治家の言葉だったりする。そして夢を見せてくれるはずの作り話や創作物、コンテンツだって時に包囲網に加担する。

 

 BLはじめ、自由な想像の世界の中に、しがらみの包囲網をそっと解いてくれる作品がもっとあればいいなと思う。今は激動の時代で、何を選ぶか、どう生きるのかとても難しいと思う。こんなエントリを書きながら、表現ひとつとっても炎上しかねないことに、ため息ひとつつきたくなる。きっとおっさんずラブが、包囲網を解いてくれる作品であった人も、現実逃避のオアシスとして機能した人もいたのだと思う。その人たちのことを別に批判はしない。ただ、様々な感情や関係性、愛を肯定してくれる作品が今後出てきて、正解のないこの時代にそっと手を差し伸べてくれる、そうしてちょっとでもいい社会になってくれればなと思う。

 

 

KIRINJIの堀込高樹は、「AIの逃避行」という曲で、こんな詩を書いた。

 

youtu.be

いつから君は女になったの
どうして君は男でいるの
愛は自由で形のないもの
今、静かに革命が起きているの

 

「愛は自由で形のないもの」。包囲網を溶かすヒントが、ここにある気がする。

 

補論

 

ねほぱほ記事探して面白かった増田。

anond.hatelabo.jp

 

性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。


「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。

などなど。

腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。
白ハゲ漫画とかRTとかハッシュタグとかで。
100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。

 

ほんとそれですね。このエントリもそれです。ハイ。

 

 

 

*1:ファンも心乱された回だったので、偶然当たった回が悪かった、ともいえるのだろうが。

*2:おそ松さんにハマり、サンリオショップでコラボグッズを買い、ネサフで腐女子に受けてると知り、無知ゆえに「おそ松さん ふじょし」でbing画像検索しPCをフリーズさせた恐ろしい母である。

*3:ちなみに養女も育てる

*4:家族間での軋轢や、社会の偏見も扱い、練られた描写だった。

*5:別に上司が部下を好きになることがダメなわけではない。武蔵の場合、本人が悪気が無くてもパワハラ・セクハラ認定を受けざるを得ない。

*6:イデアは斬新だが、隠し撮りをupするという方向性はどうなのだろうか……と思わなくもないが。

*7:ジェンダーもので、マイノリティの在り方を描くとき、彼らの実際問題といったステレオタイプを崩す「リアル」と、マジョリティと同じ価値観といった普遍性を描くものが多い。

「弟の夫」は当事者側のリアルとアウティングされた側のリアル両面を描いている。「弟の夫と、元夫婦と、娘。この複雑な関係を何と呼べばいいのだろう」という主人公の問いかけに、彼の元嫁が「『家族』でいいんじゃない」と答えさせることで、イカップルの関係性を、法律レベルを超えた「家族」ということばの定義を広げることで、普遍性に落とし込んでいる。かつ、「家族を亡くした悲しさ」という普遍性を成立させている。愛する「家族」を喪った悲しみは、マイノリティの人間もマジョリティの人間も変わりないということだ。

 

弟の夫 [DVD]

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*8:個人的には、腐女子=男同士の絡み・恋愛が好きな方、BL=男同士の恋愛を描いたものでも、濡れ場があるハードなものと認識している。攻めが攻めて受けが受けるもの。腐女子=濡れ場ありなものが好きという認識が一般的なのかなと思う。